日本に住み初めて、かれこれ30年以上になる。
日常会話についてはそれなりに慣れてきたつもりだし、日本語で書かれた本もそのまま読むことができる。ブログもこうやって日本語で書いてみている。それでも、なんなんだこれは、と不思議に感じる日本語に出会うことがまだまだ多い。
「業者」はそうした言葉のひとつである。ギョーシャと発音する。
業者とは仕事を請け負ってくれる人々のことである。微妙にネガティブな語感を持つ語なのだけれど、文脈によってはニュートラルなものとして言われることもある。
ニュートラルな文脈の方から考えてみる。たとえば職場に「業者」が来てコピー機を修理し帰るような場合である。
こうした業者は基本的に営利企業である。ボランティア活動しているひとに「業者ですか」と聞くとたいへん怒られるはずである。
さらに、どちらかというと、小規模な営利企業が想像される。ただしフリーランスで完全にひとりで仕事を請け負っているひとを「業者」とは呼ばないかもしれない。数名から数十名の企業組織が想定される。
ただし、実際の会社の規模は本質ではない。要点は、自分たちの側への関わり方である。限定的に、特定の用務のためにこちらに現れて、それが終われば去ってゆく。それが業者である。だから実は従業員数が数千名の巨大企業であっても、作業チームが数名だけ来て帰るならば、それはどちらかといえば業者である。他方で、相手が数名の小企業であっても、自分の会社と対等の契約を結ぶのならば、その相手先を「業者」と呼ぶのはシツレイにあたる。名刺交換して挨拶をして本題に…という関わり方は「業者」ではない。
そうしてさまざまな「業者」が職場にやってきては用務をこなして帰る。このおかげで自分のところの企業なり学校なりが成立している。そして今度は、その自分たちが別の場所へ仕事へ赴くと、「業者」として扱われることもある。「業者」はその場限りの役割であって、固定された身分ではない。
面倒なことに、日本語には「~~業」という表現がある。「卸売業」「印刷業」「回収業」などである。この場合、語尾に「者」を付ければそのまま「卸売業者」「印刷業者」「回収業者」となる。これは「卸売+業者」なのか「卸売業+者」なのか、わからない。たとえば回収業者はこちらの求めに応じてやってきて何かを回収して帰るので、「業者」でもある。
これに対して、「漁業」に「者」を加えて「漁業者」と呼ぶこともできなくはないが、この場合はけっして「漁+業者」ではない。「畜産業者」にしても、「畜産業+者」であって、「畜産+業者」ではない。
こうして並べてみると、ニュートラルとはいえ、こうした「業者」表現にも、どことなく相手を一段下に見るようなニュアンスが含まれる。ビルの掃除をしてくれているひとを「清掃の業者さん」と呼ぶことはあっても、弁護士を「実刑軽減業者」「民事調停業者」とは呼ばない。さん付けするのは、すでに下に見ている証拠である。誰にでもできる仕事、汚れ仕事、低い階級の者がする仕事、というイメージが「業者」にはついてまわる。ところが同時に、業者を呼ぶのは自分たちではできないからである。業者は時間通りに来て、要求した仕事をそつなくこなし、そしてちょっと割高に感じる請求書を出し、お金を受け取って帰る。一段低く見ると同時に、プロフェッショナルの仕事をしてくれるという信頼や尊敬がある。矛盾しているが、そのような語感がある。
さて、さらに明確にネガティブなイメージを与えられる「業者」もある。
たとえば出会い系サイトでサクラをするのは「業者」である。SPAMメールを送ってくるのも「業者」である。要するに、こちらからはっきりと姿が見えないものの、利益を目的としてグレーなことを行っている者が「業者」である。
相手が個人であった場合は「業者」とは呼ばないはずなのだけれど、個人か組織かわからない状況では結局「業者」と呼ばれることが多いようである。グレーな行為をシステマチックに遂行しているように感じられるところが鍵なのだろう。
前半のニュートラルな「業者」との共通点は、相手の顔や個性がはっきり現れないところである。