しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

「碑」の傷つきやすさ

震災の鎮魂碑、盗難か 六甲山頂付近建立
毎日新聞2019年1月31日 22時05分(最終更新 1月31日 22時11分)


 兵庫県勤労者山岳連盟(兵庫労山)は31日、神戸市東灘区の六甲山頂付近に建てた阪神東日本大震災犠牲者の鎮魂碑がなくなったと発表した。碑は過去にも被害に遭っており、兵庫労山は警察への被害届を検討する。

 碑は東北3県と兵庫の労山などが2016年3月に建立。一辺9センチ、高さ1・3メートルの木製四角柱で「復興祈願」などと白字で記した。16年夏にストックのようなもので傷つけられ、17年5月には真っ黒に塗られた。18年7月に近くで再設置した。

 兵庫労山によると昨年12月、会員が無事を確認。30日に登山者がないのに気づき、31日に兵庫労山が被害を確認した。吉谷隆男理事長(63)は「3回目の被害で、非常に残念だ」と話した。【望月靖祥】

 

「碑」は傷つきやすい。

この鎮魂碑は木製だが、一般に石や鉄などの「硬い」素材で作られる。それは碑が永遠にその場所に立ち続けることを、碑を立てる人間が願うからである。さらには碑が指し示す事件(災厄や立派な行為)が永遠に忘れられないことを願うからである。

しかしまた、碑はしばしば傷つけられる。風雨や人間の害意によって、倒されたり砕かれたりペンキを投げつけられたりする。上掲のニュースのような事件は実のところめずらしくない。

(多少の検索の結果:)

説明板修復始まる 2月損壊の復帰闘争碑 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

糸満市摩文仁の慰霊塔 突風で損壊か | ラジオ沖縄ハイサイポッド

原爆慰霊碑破損事件 - Wikipedia

阪神大震災モニュメントに落書き 鋭利な工具などで削られる 兵庫県警が捜査 - 産経WEST

風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件 - Wikipedia

 

 ここで、一つずつの事件の文脈や是非は論じない。ここでわたしが言いたいことは、単純に、碑は一般の住宅やビルよりもずっと傷つけられやすいということである。それは碑がつねに政治的意味を帯びているからである。反戦を訴える碑は国粋主義者の標的になり、国家の事業を称揚する碑は左派活動家の標的になる。また、共同体が尊重している碑や空間は、その共同体からあぶれた者の反感の転移対象となる。

 攻撃に対して碑はむしろ脆弱である。碑の素材が石や鋼鉄であっても、ハンマーや工具を使えば一部を壊すことはたやすい。碑はそもそも、家や橋のようにその物理的な構造や形状自体が直接に役割を果たすのではなく、そこに存在しないもの(過去の事件や死者の魂)を「指し示す」ものである。だから攻撃を成立させるためには物理的に徹底的に消し去る必要はなく、たとえば表面にペンキが投げつけられるだけでも、十分に「傷つけられた」とみなされる。碑は石や鉄で作られるけれど、実のところ人間の皮膚や顔のような「弱さ」がある。

 人間の意図的な攻撃だけでなく、風雨に対しても実は弱い。数年前に南三陸町に調査に行ったとき、神社の境内の隅に、おそらく明治三陸津波を伝えるものと思われる石碑があった。わたしがそうした碑文を読む技術や素養を持っていなかったためもあるけれど、碑の石材それ自体が年月の経過によって次第に摩耗し、苔がはりつき、刻まれた文字が十分判読できなくなっていた。このことは石以外の素材であっても本質的には変わらない。

 素材自体の「耐久期間」のほかに、碑を管理する共同体の関心の濃淡も影響する。兵庫県西宮市の震災慰霊碑が据えられている公園の奥にはかなり巨大な戦災記念碑?があるが、ほとんどの市民の関心はおそらく震災慰霊碑の方に向けられており、戦争の碑には視線がむすばれづらい。案内板も無い。

(以下のサイトによると、1955年に建てられたもの)

http://kyoiku.kyokyo-u.ac.jp/gakka/murakami/takami/hp%20nisinomiya/n%20ireihi.html

 

 突き詰めて言えば、碑の傷つきやすさの根本的な理由は、それが「おもて」に立ち続けなければならないことによる。碑はひとびとの視線と風雨にその物理的基体そのものを曝さねばならない。また、ほとんどの碑は建立された場所から容易に移動させることができない。これはたとえば位牌が火事のとき仏壇から取り出され避難させられるのと大きく異なる。

 

 わたしが考えてみたいのは、ひとびとは本当に碑を永遠に立ち続けるべきものとして構想しているのかどうか、ということである。たしかに碑を立てるとき、それが遠い未来まで損なわれることなく立ち続けることをひとびとは願う。ここでの「永遠」とは、1000万年や56億7千万年先というほどの長さではなくても、少なくとも歴史的感覚が及ぶ範囲ということが期待されているだろう。たとえば500年前、1000年前、2000年前の出来事をわたしたちは歴史学によって歴史意識の範囲に収めることができるので、仮に碑も同様の期間保持されたとすれば、それは実質的に「永遠」に近いとみなすことができるだろう。

 しかし他方で、実のところ石碑や鉄板の耐久期間はおおむね50年から100年ほどのオーダーであることをわたしたちは実感として知っている。墓石や、神社や寺院の石碑などからそれを学んでいる。それらをまじまじと観察したことはなくても、ある程度古くなるともはや刻まれた文字が判別できなくなることを知っている。

 だから、かなり粗雑な表現になってしまうけれど、ひとは石や鉄で記念碑を建てるとき、それが永遠に立ち続けるようにと心中で真摯に祈り、そのように声明しつつも、同時に心の別の部分では、100年後にはこの碑はほぼ朽ちているだろうとどこかで予測ないしは期待しているのではなかろうか。あるいは50年や100年くらいは保っていてほしいけれど、150年後や200年後には朽ちてしまってもまあしょうがないだろうな、といった感覚を持つことはないだろうか。

 これは矛盾とか不合理とかいうことではなく、ひとは「永遠」ということを、このように両面的に捉えざるをえないのではないか、ということである。真に永劫に語り継がれてほしいという思いと、日々の風雨のなかで少しずつ少しずつ欠けて苔むして土に戻ってほしいという思いが同居しているかもしれない。碑を建てるという行為は、この両面の思いのさしあたりの調停ではないか。