しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

「ちいちゃんのかげおくり」を教えられなかった先生のこと

小学校の国語の教科書に「ちいちゃんのかげおくり」という短編小説があった。多くの人が知っているだろうので筋の紹介は省略する。物語は「空襲」を軸に展開する。

 

この物語を学校で学んだとき、担任はベテランの先生だった。その先生の年代をいまざっと逆算してみると、戦後すぐくらいのお生まれではないかと思う。

そのベテラン先生が言っていたことで、いまでも鮮明に覚えていることがある。その先生の先輩にあたる同僚の先生が、昔、この「ちいちゃんのかげおくり」をどうしても授業で教えることができないと言っていた、という。

その先輩先生は実際に空襲のなかを家族と逃げ惑っていた。焼夷弾が落ちてきて、そのひとと母親は引いていた大八車の下に隠れたが、妹は間に合わず大八車の上の布団の中に身体を突っ込ませた。大八車の下から身を起こして布団の中の妹を助け出そうとすると、弾の破片のためであろうか、身体が血まみれになっていた(おそらく亡くなったのだろう)。

この「ちいちゃんのかげおくり」を教科書で読むたびに、そのときの光景を思い出してしまう。だからどうしてもこの物語だけは教えられない。だから、この物語を扱うことになる3年生の担任だけは避けさせてもらっている。そう言っていた先輩の先生がいた、とベテラン先生が戦後48年目くらいの教室でわたしたちに語った。

 

まだほとんどの日本人が「トラウマ」や「PTSD」や「フラッシュバック」といった用語を知らない時期の挿話ということになる。教室で聞いてからさらに四半世紀経ってふと思い出したので、ここに書いておくことにする。