人は誰でも成人の期間を通じて、ゆっくりと接触の喪失を経験する。というのは、20歳から80歳にかけて、メルケル盤とマイスナー小体の密度が3分の1に減っていくからだ。接触位置に対する皮膚の鋭敏さも同程度に低下する。加齢による鋭敏さの低下は、皮膚の浅い部分にあるこれらの機械受容器の現象だけで説明できるだろうか。おそらくそうではない。
ひとつの手掛かりは、身体の部分により位置の識別能の低下度合いが違うということだ。指先の鋭敏さは2.5分の1程度だが、足の裏とつま先では4分の1になる。鋭敏さの低下は、加齢による神経の信号伝播速度の低下によるものとも考えられる。メルケル盤とマイスナー小体から神経線維を伝って脳に送られるスパイクの速度は、若い頃は時速240キロほどだが、歳を取ると時速180キロほどに落ちる。信号の速度が遅くなると、つま先のように脳から遠い部位の情報は、手や唇など比較的近い部位よりも、質が低下している可能性がある。(デイヴィッド・J・リンデン(岩坂彰訳)『触れることの科学』河出書房新社、2016年、90-91頁)
年を取ると、ある種の触覚細胞から脳に送られる神経の信号伝達速度が3/4になってしまう。この一節を読んだとき、ふしぎなかんじがした。20歳の自分も80歳の自分も、つま先で同じもの(プールの水、海辺の砂、芝生、だれかの肌…)に触れることができるけれど、その信号情報は同じとは限らない。80歳の自分のからだの中の、神経繊維の中を、触れたものの感覚はいくぶんゆっくりと脳へ昇ってゆく。
ただしそれを、なにかの「劣化」だと決めつけたくはない。ゆっくりというのは、たいてい、良いことである。