しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

岐阜市長選の「万歳」で新市長奥さんがお辞儀をしていなくて驚いた

ニュースを見ていて面白い写真に出会った。

https://www.nikkei.com/content/pic/20180128/96958A9F889DE0E4E0E6E4E5E2E2E0EAE2E3E0E2E3EA919CEAE2E2E2-DSXMZO2624817028012018CN8001-PB1-2.jpg

昨日投開票が行われた岐阜市長選挙で、当選確実が判明した新市長と支持者が「ばんざーい!」をしている。その場面で、市長の奥さんもいっしょに万歳をしている。

(他の新聞社記事によると、市長の左にいるのは確かに奥様らしい)

 

 

これはものすごく珍しいことではないかとおもう。少なくとも自分は初めて見た。

というのも、日本では「当選確実、ばんざーい!」のシーンで、候補者と支持者が全員万歳をして、奥さんだけが深々と頭を下げる、という映像がほぼ標準であるからだ。

 

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これは「当確 万歳」で検索して最初に出てきた動画だが、25秒あたりで、候補者と支持者が「万歳!」をするなかで、候補者の妻らしき人と、その隣の初老男性だけが深々とお辞儀をしている。これがいわば標準スタイルだろう。

 

国政選挙直後の特集番組では、この「万歳!」映像のラッシュが次々に流される。自分がこれまで見てきた限り100%、「新議員と支持者が万歳+奥さんだけが深々とお辞儀」というスタイルだった。

 

お辞儀も万歳も当人の自由であるけれど、どの当確会場でもほぼ100%、当選者の奥さんだけがひとりお辞儀をしているというのは不気味でさえある。当確の万歳ではひとりお辞儀をするものだという「政治家の妻」の性的規範が、速報映像を通じて無限に反復強化されている。

 

この岐阜市長の奥さんは、この規範を破った稀有な例かもしれない(唯一の例ではないだろうけれど)。妻だろうが夫だろうが、嬉しかったら、万歳したかったら、万歳すればよいとおもう。

(「ばんざい!」自体が妙な文化だなという気もするが、それはそれとして)