しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

能とサバイバー(『多田富雄コレクション4 死者との対話』より)

 私たち観客は、僧といっしょにこうした「あのひとたち」に出会い、彼らの喜び、嘆き、さらにもっと奥深い情念や、解決できない悩みに参加する。(…)

 私たちがわざわざ能楽堂に会いに行く「あのひとたち」とは、どんなひとたちだろうか。

 それはおおざっぱにいって三種類のひとたちである。

 まず第一は、天降る神々や精霊である。(…)室町初期に、寺社の神事から発展した原始的な能は、まず能役者の体にカミを宿らせ、それを観衆に顕現させることで、民衆のカミに会いたいという願いを達した。(…)

 第二のカテゴリーの「あのひとたち」は、幽霊である。物語や伝説で聞いた美女たち、戦いに散った平家の公達、罪を犯して地獄に堕ちた男女、ときには怨みをのんであの世をさまよう不幸な女の霊などが、あの橋を渡ってこの世に現れる。霊たちは、自分の生前の姿を見せ、そのときのことを物語り、救いを求めながらあの世に去ってゆく。(…)

 第三のカテゴリーは、いま現実に生きている「あのひとたち」でる。私たちと同じ時代に生きているけれど、明らかにわれわれとは異なったふしぎな体験をした人たちがいる。何らかの事件に巻き込まれたり、歴史の渦に直接巻き込まれたため、通常ではあり得ないような異常な体験を持った人たちである。愛する子供を失って常軌を逸した行動をしている狂女、臨死体験の男、戦いに敗れた英雄、愛する者との離別や再会、嫉妬や復讐。私たちの周辺で起こっているさまざまな事件を介して、人間の本性が現れてゆく。当時の三面記事に類したものから現実に起こった歴史的事件に至るまで、その当事者にやってきてもらい、語ってもらう、そんなヒーローたちに、人々は出会いたいと願っているのだ。

 

 

 『多田富雄コレクション4 死者との対話【能の現代性】』藤原書店、59-60頁、2017年より。

 多田は「能」に登場する人物を3種のカテゴリに分ける。第一は神々や精霊。第二は冥府の世界の人々。そして第三は「いま現実に生きている「あのひとたち」」であるが、事件や歴史の渦に巻き込まれたり、愛する者との死別や情念の波乱を経験した人々といった例は、自分の研究分野である「サバイバー」という理念にぴったり合う。

 「トラウマ」や「サバイバー」という横文字ではどうしても日本の中の出来事や人々を理解しきれないとずっと困っていた。能のなかに、これらの理念に相当する人間把握があることを初めて知って、驚いている。

 大学生協で偶然見かけた本だけれど、買って読んでみてよかった。