しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

イラク帰還米兵のはなしを聞きに行った。

 豊中国際交流協会の小さなイベントに行った。

 アッシュさんという名前のお兄さんが、戦地での自分の体験を話した。

 アッシュさんは「イラク帰還米兵」である。高校卒業後に州兵に入隊し、計6年間、従軍した。かれはクウェートイラクにいた。

 

 アッシュさんはいろいろなことを話した。話の芯にあったのは、軍隊は基礎訓練で兵士のアタマを作り変えてしまう、ということだった。たしか、「神経を取り替えてしまう」「brain washする」という表現を使っていたとおもう。

 どのように作り変えるのか。それは、派遣先の現地のひとびとを、ひとりずつの人間だと感じないようにする、ということである。

 

 クウェートイラクで、アッシュさんたち米兵は、地元のひとびとを「ハッジ」と呼んでいた。本来は「巡礼」という意味だけれど、米兵たちはこの言葉をthing、つまり「モノ」という意味で使っていたという。

 モノなので、それが困っていても、ケガをしたり死んでしまったりしても、兵士たちは何も感じない。たとえば道端で車が故障して立ち往生している同胞を見れば普通は助けようとする(兵士たちはそのための機材も持っている)が、それがイラククウェートのひとびとなら、「壊れた椅子が道端に放置されているのと同じ。椅子の脚が折れていても、わざわざそれを修理するために車を止めることはない」と。

(かれは話の流れで「車が故障して困っているとき」というたとえを用いたけれど、現実にはもっと生身にひどい状況があったのではないかとおもう。つまり、脚を骨折したり大怪我している現地民を見ても、椅子の脚が折れているようなものと感じていた、ということだったのではないか)

 

 このような感じ方をするのは、アッシュさんや他の兵士が悪人だったからではない。軍隊が兵士の精神をそのように作り変えてしまうのである。たいていの兵士は、つまるところ普通の若者たちにすぎなかった。

 アッシュさん自身は、大学進学のための資金を求めて入隊した。「軍隊は少年を一人前の男にする」というのがアメリカでよく使われている募兵の宣伝文句だそうだ。アッシュさんを含めて、多くの若者たちが、それを素直に信じて入隊してくる。しかし現実には、かれらは疲弊しきって、神経をびりびりに張り詰めて帰国する。

  

 アッシュさんは最後に印象深いエピソードをいくつか話した。

 戦地でかれが基地の見張り台に立っているとき、地元民の男性が、基地の周囲で何か作業をし始めた。米軍基地の周辺は非常に危険である。見張りの米兵もしばしば彼をいぶかしみ、銃口を向けた。そのうち、この男性は苗を植えているのだとアッシュさんは気づいた。麦の苗だった。緑色の畑地が基地の周辺に広がった。

 そこで初めてアッシュさんは、この男性がハッジ(=モノ)ではないと強く気づいた。なぜこのような危険な場所で農作業をしているのか。それはこの男性が、自身やかれの家族を食べさせねばならないからだ。アッシュさんの祖父も、大恐慌時代に苦労して働き、家族を養った。ただ生きのびるために、子供たちを飢えさせないために、危険を冒して苗を植えている。それはイラク人でもアメリカ人でもロシア人でも同じことにちがいない。このようにアッシュさんは言った。

 

 帰国してから、どのように元の生活に再適応してゆきましたか、と質問した。アッシュさんは2時間ちかく話しつづけていて、この質問をしたときはだいぶしんどそうだったけれど、とても丁寧に答えてくれた。曰く、帰国した直後は感情の制御ができず、かれの家族や恋人にとって、すごくすごく危険な存在だったという。かれと活動を共にしている通訳の方が「かれはいまangerと言いましたけれど、もっと言葉にできない、ぐつぐつした感情でしょうね」と補足してくださった。

 そうした状態が3, 4年つづいた。転機のひとつが、ベトナム戦争帰還兵と話したことだった。彼らはやはり同じような体験をしているので、感情の障害や苦悩などをすんなりわかってくれた。わかってもらえたこと自体に驚いた、ともアッシュさん言った。かれは自分の心理を分析していった。「心の中に箱があって、それを開くとまた小さな箱があって、開くとまた箱があって…と、くりかえすようなもの」と言った。わかりやすいたとえだと感じた。(リフトンがベトナム帰還兵との対話の描いた Home from the Warに、たしか玉ねぎの皮を一枚ずつ剥いてゆくという喩えが出てきたような記憶があるが、定かでない)

 

 ひとつ知識として知ったのは、イラク帰還米兵がベトナム帰還兵と体験を共有できるということだった。この2つの世代の間には湾岸戦争というもう一つの戦争があるのだけれど、おそらく「負けた戦争」の兵士同士のほうが何かと通じやすいのだろう。