しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

2019-02-01から1ヶ月間の記事一覧

大学に5年いて腹がたったこと

博士前期・後期課程で計5年間、大阪大学にいた。 大学で過ごしていてとても腹がたったことが2度あった。 とくに面白い話ではないけれど、そのうちの1つを、大学を出る前にここに書いておくことにする。 それは豊中キャンパスのドンドンという今はなくなっ…

臨床哲学と「方法」

臨床哲学に固有の方法はあるのかと問われることがある。これはおろそかにできない問いだけれど、これまで自分はうまく答えることができなかった。いま完全な答えを出すのではないけれど、その手がかりを考えてみようとおもう。 なおここで言う臨床哲学は、さ…

からだが触る

今はもう昔のことになってしまったけれど、学部生のとき、全盲の学生と共に授業に出て板書内容をノートPCに打ち込んでゆくという有償ボランティアをしたことがあった。授業後、その学生が白杖で足元を探りながら教壇上の老教授のもとに近づいた。そのとき、…

豚肉の塩漬けをつくる

豚の塩漬けをつくった。 以下のサイトの工程を完全にコピーした。そしたらできた。 2月5日。まず最初に岩塩をすりこんだ状態。ここから冷蔵庫へ。 2月8日。3日経ったのでいちど水洗いして塩を抜く。(写真は水洗いする直前) 全体的に少し縮んでいるが、まだ…

長生きケレンスキー

ケレンスキーというひとはロシア革命後に政権を担い、その後レーニンに負けて亡命した。ボリシェヴィキからの視点ではかれはここで表舞台から退場するのでその後の消息をわたしは考えたことがなかったのだけれど、先日Wikipediaを見ていたら1970年まで存命だ…

五つ玉のそろばん

おばあちゃんの部屋を整理していたら、すごいものが出てきた。 大きな算盤。玉が下側に5つ付いている。自分が小学校で習ったのは4つバージョンだった。子どものころにも同じ算盤を手にとった記憶がある。 裏の書き込みを見てびっくりする。 「明治四十年十…

90年代カンボジアPTSD調査の失敗(新福尚隆「阪神大震災 私の体験と心のケア」)

被災者の心の問題の調査という点では私がWHO在籍中に経験したカンボジアにおけるPTSDの調査団のことが頭に浮かぶ。1991年以降、カンボジアにおいて外国からの支援が始まるようになったとき、急速に増大した申込みの一つはカンボジアにおけるPTSDの調査、研究…

死と死に方

自分自身の「死」という出来事が何であるのかを考えようとするが、いまひとつ掴みきれない。将来絶対確実に起きるはずなのだけれど、あまりリアルなものとして考えることができない。「死」を理念や概念として把握しようとするのがそもそもの間違いなのだろ…

災禍の定義と「支援」(アンヌ・ブッシィ「フクシマの災害と災禍に対する社会の反応」(2015))

災禍の経験を通して、また、半世紀以上の多岐にわたる研究により、「災禍」は時代とともに様々な定義を与えられるようになった。(…)定義にこだわりすぎるのは無意味で無責任なことに思えるかもしれないが、フクシマの被害者のように、常に支援が必要な被災…

小此木啓吾「フロイト対フェレンツィの流れ」(2000)

小此木啓吾「フロイト対フェレンツィの流れ」『精神分析研究』44(1), 28-36, 2000. ・禁欲規則、分析の隠れ身、中立性、受け身性、医師としての分別を基本とするフロイト的態度。他方、人間的な愛情と温かい交流こそ治療の根本であるとするフェレンツィ的態…

さいきん聞こえたもの

「もうちょっと遊んどけ、やってー!」 3年前の秋ごろの夕方、神戸市長田区の公園のまえで。 自転車に乗った小学生が、隣の友人に言う。携帯電話で親に連絡をしていたらしい。たぶん、まだ家に帰ってくるな、公園でもうちょっと遊んでいなさい、と親が言った…

読書の声のスピード感

本を読んでいるとき、頭の中で「音声」を再生するように読むのか、それともそうした音声抜きに読むのかという違いがある。これは個人差があるらしい。 わたしの場合は、読書体験の8割ほどは前者の「音声」型だが、読んでいるうちにいつのまにか音声が抜けて…

「ポスト震災○○年」が不可視化するもの(稲津秀樹「被災地はどこへ消えたのか? 「ポスト震災20年における震災映画の想像力」2017年)

稲津秀樹「被災地はどこへ消えたのか? 「ポスト震災20年における震災映画の想像力」『新社会学研究』2, 2017, 46-56. つまり、「ポスト震災○○年」という言葉でもって震災の時空間が方向付けられる限り、私たちの想像力に1995年1月17日に現出した被災地のリ…

「見たくない現実を暴く力」(本当に見たくないものは暴かないでおく力)を専有しているのは男性である

全体を通じて、なんだか決定的にズレているなぁとおもう。 では今回の広告が、示そうとした「向き合わなければならないもの」とはなにか。それは、「絆・連帯というもののは時に抑圧的に働くことがある」という事実です。 これは、間違っているとおもう。 問…

分別と「つく」

分別という言葉は日常語の体系の中に組み込まれていて、いろいろな意味を含んでいるのに、この言葉が日本の哲学や倫理学のなかで「実践理性」などの用語ほどには確かな位置を与えられていないことは残念なことだとおもう。 そこで「分別」について少しだけ考…

回復と下山(中井久夫『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年)

急性期から回復していくのを、私は山から下りるのにたとえたことがあります。回復は山から下りるときの感じですね。私もちょっと山登りをしていたことがありますけれども、回復の一つの特徴は目標がはっきりしないことです。発病のときに目標があるかという…

「碑」の傷つきやすさ

震災の鎮魂碑、盗難か 六甲山頂付近建立毎日新聞2019年1月31日 22時05分(最終更新 1月31日 22時11分) 兵庫県勤労者山岳連盟(兵庫労山)は31日、神戸市東灘区の六甲山頂付近に建てた阪神・東日本大震災犠牲者の鎮魂碑がなくなったと発表した。碑は過去にも被…