しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

そこにおった誰か

 露宇の戦争が始まった当初、現地からの映像をできるだけ見ないようにしていたのだけれど、1週間ほどでそれをあきらめた。完全に見ないままでいることもやはり無理だと理解した。そして最初に見たのが、たしかキエフ近郊の湖上をNOE飛行しているロシア軍のヘリコプターが撃墜され水面に落ちる映像だった。ああ、中にひとが乗っていたのだ、とおもった。操縦士と副操縦士で最低でも2名、兵士を輸送していればさらに多い。

 そしてまた、避難中の民間人が乗った自家用車がBMPの機関砲に撃たれる映像や、対戦車ミサイルの操作画面内に映る戦車の白いシルエットが散乱する映像や、お祭りの花火のように市街にゆっくり垂れ落ちる焼夷弾頭の映像や、戦車のハッチに手榴弾を投げ入れるドローンの映像や、塹壕で友軍の兵士が追い詰められる様子を撮り続けるドローンの映像などがあった。

 あ、その中にひとがおるんやんな、その着弾地点にひとがおるやんな、そこにひとがおるやんな、という感覚があり、そこでだいたい止まってしまう。

 いる、いた、おる、おった、という実在の感覚が映像にもあって、その感覚は日常生活で持つ「おる」とほぼ同じ次元にある。しかし日常生活では付近にいるひとの「おる」が水面に叩きつけられたり30mm機関砲で爆砕されることはない。

 この「おるやんな」「おったはずやんな」にとまどったまま、毎朝毎日あたらしい動画がやってくる。そのひとつずつに「たしかにその中にこれこれのひとがおったんです」と教えられることはまず無い。ないまま、あれ、あれ、れ、というだけで映像が通り過ぎてゆく。

「大和です」

2chモノのコピペの一つに、海自隊員の結婚式に参席していた新郎のお爺さんが旧海軍出身だったというものがある。十数行のコピペ文章だが語り方が上手い。海軍時代に乗っていた船をお爺さんに聞くと「大和です」と答えが帰ってきて、出席していた海自関係者全員が姿勢を正したとかなんとかの短いストーリーになっている。

この「大和です」というコピペを以前見かけたとき、違和感を覚えた。元は「武蔵です」ではなかったか。

自分の記憶だけのことなので確証できないのだが、最初にこのコピペを見たとき(20年近く前のはずだ)、お爺さんは自分が乗っていた船を「武蔵です」と答えていたように記憶している。その前後は全て同じだが、乗っていた船の名前だけが武蔵から大和に変わっている。

説明を付け加えておくと、「大和」「武蔵」は同型の旧日本海軍の戦艦である。一般的な知名度で言えば「大和」の方が高いだろう。

最初からコピペは「大和です」だったのかもしれない。武蔵はわたしの単純な思い違いかもしれない。その可能性は排除できないけれど、やはりシンプルな違和感がある。

 

コピペが繰り返されるうち、武蔵ではわかりづらいと考えた誰かが「大和です」に書き換えたのではないかと想像している。

古典文献学にlectio difficiliorという原則がある。印刷術が発達するまで文献の制作は写本が基本だった。細部が異なる写本が2冊あって、いずれがよりオリジナルに近いのかがわからないとき、読みづらい方がよりオリジナルに近い方だと判断するという原則である。写本を書き写してゆくとき、内容が読み取りづらかったり、文法的に間違いと思われる箇所があると、複製者は意図的に、あるいは気づかぬままに「読みやすい」「正しい」文に変えてしまう。つまり複製が重ねられるほど読みづらさが減ってゆく。だから読みづらい方がより古い、よりオリジナルに近い写本である。

lectio difficiliorに従うならば、「武蔵です」「大和です」という2バージョンのコピペ(が存在すると仮定して)のうち、より「わかりやすい」大和の方が新しく、相対的に知名度の低い「武蔵です」がオリジナルだということになる。

 

2chコピペというものはたいていがどことなく嘘くさいものだが、とはいえ全くのゼロからの創作・捏造でもなかろうと感じさせる側面もあって、ほのかな生臭さを含んだ味わい深さがある。しかし武蔵を大和に書き換えるということが仮にもしあったとすれば、オリジナルの嘘くささとは別次元の嫌な感じがする。

そして小鳥のように(『原爆の子(上)』岩波文庫)

このようなおそろしい戦争は大きらいです。どうぞ、日本中の、世界中のみなさま、もう決して戦争をしないで、平和に手をとり合って進みましょう。

そして小鳥のように楽しくくらして行きましょう。

げんしばくだんは、作らない方がよいと思います。

(平田重子 小学校六年(当時満5歳))

(長田新編『原爆の子 広島の少年少女のうったえ(上)』岩波文庫、1990年、196頁)

 

ほとんど全て凄惨な描写で埋め尽くされている本なのだけれど、ときたま、ふっと胸の柔らかいところを突くような一文がある。「そして小鳥のように楽しくくらして行きましょう」。

匍匐前進と舌

こどもが匍匐前進をするようになった。

1ヶ月半前に寝返りをするようになって以来、起きているときはほとんどうつ伏せで顔を上げた姿勢で過ごしている。ただ、そこから手足を動かして前進できるようになるまでが長かった。手足を四方にびょんと伸ばしてみたり、まず両足を無理やり動かしてみたり、両手をうまく前に出したり、さまざまな動きを試していた。それらの「練習期間」を経て、ここ1週間ほどでさくさくずいずいと匍匐前進をするようになった。「ハイハイ」はまだしばらく先だろう。

しかし匍匐前進が自由にできるようになっても、部屋を自由に移動するわけではないところが面白い。かれが匍匐前進をするのは、そこにある眼の前のモノを手に取って口に入れたいときだけである。移動してから手にとって口に入れるのではなく、口に入れたいから移動する。口に入れて舐め回すという目的がまずあって、モノを掴むための両手がそれに従属し、両手が伸びる範囲を拡大させるために両足が動く。もしかれの舌がカメレオンのように伸びるなら、匍匐前進ではなく舌伸ばしを覚えただろう。両脚は、あくまで、口と両手が支配する眼前の空間を拡大するために働く。

したがってモノを口に入れたいという欲求が起点にない場合は匍匐前進は始まらない。この欲求が起動するのは、モノが手と口の支配空間の内部もしくは近縁にある場合だけである。物理的距離としては50センチくらいだろうか。それより遠いと、近づいて掴んで口に入れようという気持ちが起きないらしい。見ているだけで近づかない。

そのために移動自体を目的とした移動や、探索のための移動はしない。身体能力の次元では確かに移動能力を手にしているのに、それを「移動」という抽象的な次元に置き換えて身体を用いることがまだできない。大人は「30分あればここから~~km離れたところまで行ける」「A地点からB地点まで移動するには~~という手段で~~時間かかる」というように〈移動そのもの〉を把握して、目的ごとにその能力を活用する。しかし匍匐前進ができるようになったこどもにとって、移動能力は口でモノを舐めるという目的の下位に位置づけられている。

これは空間の理解の仕方が異なるということでもある。大人も確かに空間を欲求によって理解する(「ディズニーランドに行きたい」「静かなところで過ごしたい」「早く帰宅しなければ」)。しかし同時に抽象的な位置関係、方角、距離によっても理解し、そこに移動能力(徒歩、自転車、自動車の運転、交通機関の利用)を組み合わせてかんがえる。移動能力による空間の理解は時間の理解でもある。Xkm離れたA点とB点は、Y時間内に往復できる範囲として把握されている。欲求はこうした空間と時間と移動能力の理解によって再定義される(「ディズニーランドに行きたいが、日帰りというわけにはいかないなぁ」「ここらで手軽に行ける静かな場所といえばZ公園かな」「あと30分で帰宅できると家族にLINEしておこう」)。

これに対して、いまのわたしのこどもはほぼもっぱら欲求によってのみ空間を色づけているのだろう。たしかに部屋の全体はよく動く首と目によってかなり見渡せているが、そのほとんどは自力では舐め回すことができず、ただただ両親が何かを置いたり取り出したりする場所である。1メートル上の空間も1メートル後ろの空間も、親が手で触るところであってじぶんが舐める対象ではないという点では「同じ」であって、その方角や物理的距離や位置関係は意味を持たない(ただ唯一、ベッドからうまく覗き込むと台所に立つ母親の背中が見えるという位置関係だけが重要である)。視覚的にはカラフルで奥行きがあるが舌触りとしては曖昧な空間のなかで、手と足が届かせてくれる前方50センチほどの広がりだけは濃密な実感を準備している。この範囲だけが舌触りというもう一つの「照明」で照らし出されており、手足はそれを満たすために順序良く動く。

犬が死ぬ

 犬が死ぬだろうから顔を見に来いと妹からLINEがあった。犬は14歳である。3週間前に家族3人で犬を見に実家に戻ったときは、まだよたよたとソファに登ったり歩き回ったりしていた。わたしがこどもを膝に載せていたら、犬はこどもの足の裏をぺろぺろとなめた。こどもは泣き出した。家族の一員として受け入れるという犬からの証なのだろうとおもった。

 このときに犬には今生の別れを告げたつもりだった。だからきょう改めて犬に会いに行けと言われて、一瞬迷った。すでに別れは済ませたのだ。犬の側にもそのような気持ちがあるかもしれない。老醜を晒したくないという思いがあるかもしれない。わたしたちの間には、そのような一定の信頼関係がある。犬はなにも考えていないだろうけれど。

 それでも迷ってから実家に行くことを決めて着替えていると、静かな敬意がこころに湧いてきた。これは調査旅行中の福島で祖父の訃報を聞き、旅程を途上で断って富岡駅から乗った列車内で生じた感情と同じだった。あのときも車窓のなだやかな山並みに視線を置きながら祖父の90年にわたる生涯に対する混じりけのない敬意を感じていた。犬の14年も長い。

 犬はラブラドール・レトリーバー種である。漁師が水揚げをする際に、網からこぼれた魚を港に飛び込んで回収するのが元来の仕事であったと聞く。だから水の好きな犬である。かれが生まれて初めて川の深い水流に入るのを経験させたのはわたしである。

 実家の玄関に入ると生臭かった。犬の周囲の新聞紙や絨毯には血の跡があり、皮膚の一部が破れたものらしかった。皿の水を入れ替えて、皿を傾けて水面を犬の鼻に近づけるとべしゃべしゃと舌を激しく動かして水をいっせいに飲んだ。耳はほとんど聞こえていないという。眼は見えているらしいが、わたしが顔を近づけても明確な反応は無い。

 実家の台所の「容器・包装・プラスチックごみ」を指定袋に片付けてから、父に場所を聞いて妹が借りている部屋に歩いて行ってみると、真ん中の子がおもちゃ箱をひっくり返したとかで母が床にかがんでいた。片付けを手伝った後、上の子と真ん中の子が遊ぶのにしばらく付き合った。部屋を出た。帰り際、「コウ君かえるの?」と上の子が問うたので「うちも赤ちゃんおるからなぁ」と答えた。帰路、とても悔やんだ。

しゃがみこむこども

小さなこどもとおかあさんが街中で二人きりでいるのを見ると、すこし胸がきゅううとくるまれるような、不安なような、表現しがたい気持ちをおぼえる。

それは二人で買い物に行くとか保育園の送り迎えのような場面ではあまり感じない。具体的な目的や予定のなかで動いている場合は風景のひとつとして流れてゆく。そうではなく、ただ道端でこどもがしゃがみこんで虫や何かを見ようとしていたり、縁石に座って水筒の水を飲もうとしていたりして、おかあさんがそれに合わせて立ち止まっていたりいっしょに座っていたりするような場面。

それに出くわすのはたいてい、中途半端な時間帯である。日中の活動的な時間の、街の喧騒や流れのなかではない。11時過ぎとか16時前とか、おかあさんにとってはこどものお散歩の時間としていろいろ計算のうえでのことなのだろうけれども、勤め人はそこで「立ち止まる」ことが想定されていない時間帯。清々しい晴れた公園で子供が羽根を伸ばして走り回っているのではなく、特に何があるというわけではない人通りの少ない道端でこどもがしゃがみこんでいる。指先でなにかをいじりまわしていたり、ちょっと機嫌が悪くてうつむいていたりして、おかあさんの方も急いでいるようで急いでおらず、こどもに合わせている。

そういった場面をちらと横目で見て通り過ぎるとき、上述のような複雑な感情がわきあがる。それは自分自身も母とそうしていたのだろうという浅い感傷や、じぶんのこどももそのうちこのように過ごすのだろう、その時期の短さに対する予備悲嘆だけではないようにおもう。おそらく、そのおかあさんとこどもがそこでそのようにしていることが、世界の他の要素とほとんど関わりが無いということに対する感情である。ふたりだけの世界で、全体からほぼ切り離されている。

こどもはしゃがみこんだり座ったり周囲を眺めたりしていて、じぶんの関心だけを捉えている。世界の出来事を知らず、蟻やダンゴムシや石粒に集中している。社会的な時間の経過と切り離されている。そして、立ち止まるのがそこでなくても良かった。必然性も物語も無い。何時までにそれを終わらせる、何を成し遂げるということもない。おかああさんの側は、それを慈しんでいるのか、あるいは仕方なくつきあっているのかわからないし、前後の予定を気にしているかもしれないけれど、ともかくこどもといっしょにいる。

ふっと、そのふたりが世界から消えてもだれもきづかず、世界の側ではなんら意に介さない。社会的な動きや時間から切り離されて、こどもの感覚や感情とおかあさんの存在だけが、世界のなかでの組み込み場所をもたずに、ただそのときだけそこにある。その独立したはかなさのようなものにわずかに触れてしまったという感情である。