しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

伊勢湾台風記録映画を観なおしてみる

 

現代の視点から見ていると、いろいろな発見があっておもしろい。

いくつか挙げてみる。

f:id:pikohei:20190725082506p:plain

服もけっこうラフ

名古屋市災害対策本部の記者会見の様子。ロウソクが使われている。

 

f:id:pikohei:20190725082715p:plain

遺体安置所の様子。安置所というか、露天にそのまま並べられている。生存者が家族や知り合いを探している。ムシロや毛布がかぶせられただけの遺体、顔に布が掛けられただけの遺体も映る。幼児用のサイズの棺も多い。まだ気温は高い時期。身元確認がきちんとできたのか、気になる。

 

f:id:pikohei:20190725083433p:plain

f:id:pikohei:20190725083444p:plain

f:id:pikohei:20190725083454p:plain

小包で名古屋市に送られてくる個人からの救援物資。映像には「心温まる 贈り物の数々」というナレーションが重ねられている。3枚めはおそらく物資の仕分けの様子。市職員か地元のボランティアか、女性たちが衣服らしきものを整理していることがうかがえる。この状況は阪神淡路大震災でもほぼ同様に繰り返された。現在では、個人からの支援「物資」は、物流を圧迫する・仕分けが大変・被災地の必要と合わないといった理由で推奨されない。

 

f:id:pikohei:20190725084213p:plain

f:id:pikohei:20190725084227p:plain

庄内川の堤防決壊箇所の締切工事。自衛隊・消防・名古屋市職員に加えて「勤労奉仕の学生」も「打って一丸と」「昼夜分かたず」作業を続けたと語られる。勤労奉仕の学生という表現に、戦争の記憶との近さを感じる。驚くのはほぼ手作業であるということ。ブルドーザーやショベルカーやトラックといった重機が使われていない(一応、別のシーンではダンプカーが1台映っている)。映像でも「人海作戦」という言葉が使われている。文革期の中国のダム工事の映像を見ているかのようだ。

(なお、20分ごろのヘドロ撤去作業にはブルドーザーが登場する。)

 

f:id:pikohei:20190725090005p:plain

陸自のヘリによる消毒剤散布。効果あったんだろうか…

 

 

f:id:pikohei:20190725090444p:plain

f:id:pikohei:20190725090512p:plain

仮設住宅の建設・引っ越し。プレハブではなく木造。「20日足らずの日数で完成、11月12日には喜びの入居が始まりました」とナレーション。台風襲来が9月26日であるから、被災46日後くらい。現代の感覚からしても、あまり遅くはないかんじ。

 

 

f:id:pikohei:20190725091139p:plain

f:id:pikohei:20190725091156p:plain

住居修理用の物資の配布。ナレーションでは「実費」と言っていたので、無料配布ではなく安価での販売なのかもしれない。ベニヤ板や畳やトタン板を物色する住民の様子が映る。物資そのものを配布するのは、災害救助法の「現物支給」の方針によるものなのだろう。現在の支援制度では、被災家屋の修繕は現金による支給となる。

 

f:id:pikohei:20190725091613p:plain

区役所の様子。「ここでも学生たちが甲斐甲斐しい奉仕を続けています」と言う。ナレーションと映像の様子から推測すると、罹災証明書の発行手続きも学生ボランティアが一部担当していたようにも見える。窓口には正規の市職員も詰めているのだろうけれども、現代ではちょっとできない感覚。