しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

けっきょく避難勧告・指示とは何なんだろう

今般の豪雨で、しばしば「避難情報を待たずに自分で判断して避難を」というメッセージが発せられた。しかしそうすると、避難勧告や避難指示とは何なのだろう。

避難勧告の発信が高い可能性で予測されている。その勧告は受信者に避難という行為を促す。ところが実際の「勧告」に先立って、「勧告を受信するより先に避難せよ」というメッセージが送られる。

もちろんこれは実際問題としては必要で重要なメッセージであって、勧告や指示が出るまでは逃げなくていいと油断しているひとが洪水や土砂崩れに巻き込まれる可能性がわずかでも下がるなら、それにこしたことはない。

ただ、この「先立ちメッセージ」を原理的に・字義通りに受け取ると、そもそも避難情報(避難勧告・指示)とは何なのだろうという問いにぶつかってしまう。避難勧告より先に避難してくださいという勧告。この「先立ちメッセージ」が意味を持つとすると、そもそもオリジナルの勧告は(原理上の話として)成立するのだろうか。

仮定の話として、「避難情報を待たずに避難を」というメッセージを豪雨地域内の全員がきちんと受けとったとする。住民が全員、三々五々、自分で判断して各自避難する。そしてその30分後に避難指示が発令され、その30分後に地域が洪水に見舞われた、とする。

全員避難しているので、家屋被害はともかく、死者や負傷者はゼロだ。すばらしいことだ。それは良いのだけれど、避難指示が発令されたとき、住民は全員すでに安全な場所にいるので、避難指示を意味のあるメッセージとして受信するひとはゼロだということになる。実際には避難を完了したひとが受信して「ああたしかに逃げてよかったね」と事後的に、確認的に安心することになる。その点で効果はある。だがそれなら避難指示ではなく「避難完了確認警報(?)」になってしまう。避難指示そのものとしては、受け取り手のいない警報を発令したことになる。

 

「レベル5」の「すでに深刻な災害が起きている可能性が高い」というのも不思議な表現だ。もちろんこれも、現実問題としては重要なメッセージだ。被災地域だけでなく、救援を起動すべき他地域も危機感を共有できるし、まだモタモタしているひとが行動を起こす最後のチャンスとなるかもしれない。

とはいえ、そのメッセージの第一の宛先は、その災害が起きている地域の住民だろう。だがこれも字義通りに、原理的に受け取るなら、すでに深刻な災害が起きているのだからその宛先人である住民はすでに災害を受けている、ということになる。さらに単純に、あえてあからさまに言えば、死んでいる。

知人の家に巨大隕石が衝突して、その家がぺしゃんこになったとする。あなたはその家に電話する。「あなたの家に隕石落ちましたよね、ということは、あなた死んでますよね」と。レベル5の警報を字義通りに解釈すると、このようになってしまう。

レベル4の時点でちゃんと避難したひとにとっては、レベル5の警報は無意味である。まだ避難していないひと=レベル5の警報が意味を持つようなひとは、それが出た時点ですでに死んでいる。結局、純粋な意味での「警報」としては、これも宛先がすでにゼロであるような警報ということになる。

 

くりかえしておくが、現実的には「避難情報を待たずに避難を」も、「すでに起きている可能性が高い」も、さまざまな意味がある。有益である。

だが、あくまで原理的には、論理がひっくり返ってしまっているように思われる。避難行動の実効性をあげようとするあまり、もとの警報の意味を無効化するようなメッセージを送り込んでいることになる。避難情報を強化しようとしすぎて、避難情報そのものを無効化するような袋小路に入りかけているのではあるまいか。