しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

フィールドノーツを書くのはむずかしい

研究会の発表原稿を書いていて、そのために1-2年前のフィールドノーツを読み返している。フィールドノーツとは現場調査で自分が見聞きしたことをまとめたもので、研究の基礎資料となる。その場で起きていたこと、交わした会話、発見したことなどをノートにまとめてゆくのだけれど、単なるメモ書きではなく、研究の方向性をもった記述である必要がある。

当時のフィールドノーツをいま読み返すと、内容があまりに稚拙で驚いた。衝撃と言っていい。記述の密度があまりに低く、考察も方向性もなく、基礎資料としての役割をほとんど果たしていない。こんなものを書いて悦に入っていたのか、と恥ずかしくなる。

 

調査と研究の真っ最中は、自分が書いているフィールドノーツなり考察なりのレベルになかなか気づくことができない。いったん区切りをつけて振り返ると、粗が目立つ。それはもうそういう構造なのだろう。真っ最中に自分のレベルを客観視できるひとも世界にはいるのかもしれないけれど、わたしはそうではない。

そういうわけで、教科書を改めて読み返している。 

フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる

フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる

 

 この本の「はじめに」には次のように書かれている。

第4章で解説しているフィールドノーツの書き方に関しては、とりあえず164ページまで読んだらいったんこの本をどこかにしまっておいて、残りの部分については、実際にフィールドノーツを書く実習をしてみてから読み進めることを強くおすすめします。

わたしはちょうどこの例にはまっている。フィールドノーツを書いて失敗する経験をしてから再トライしている。みんな同じ道を通ってきてるのだなという気もする。