しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

おじいちゃんは人を撃ったのか

 わたしには母方の「おじいちゃん」が二人いる。祖父と、祖父の兄である。後者の「大きいおじいちゃん」は徴兵されて兵隊に行っていた。そのことを生前に当人に直接聞くことはなかったが、わたしは、おばあちゃん(かれの奥さん)と、母(かれの姪)からよくその話を聞いていた。

 それは整理すると以下のような流れである。

 おじいちゃんは長男だったのに、終戦間際の根こそぎ動員で徴兵され、満州に送られた。そのうちソビエトが侵攻してきて捕虜になり、シベリアに送られた。ただしシベリアと言ってもモスクワ寄りの、比較的暖かい地域だったので生き延びることができた。おじいちゃんを載せたシベリア鉄道の列車はバイカル湖のほとりを丸3日間走った。さすがロシアは大きな国だ、三日月型のバイカル湖の縦の岸を走っているのだと思っていたら、三日月型の南端の短辺の部分を走るのに3日かかったと後で教えられてさらにびっくりした。捕虜収容所では炭鉱で働かされた。おじいちゃんは計算ができたので、その収容所の女医さんに可愛がられて(どういう意味だろう…)、体調が悪いとかなんとか理屈を付けてもらって早く帰国させてもらった(おそらく炭鉱内部の重労働は堪えられないと判断され、経理関連の役務を割り当てられたのだろう)。もっと寒いところに送られていたら死んでいただろう。帰りのシベリア鉄道の中で、手作りの麻雀を上官に教えてお金を巻き上げた。そしてようやくおじいちゃんは帰国した。ちっちゃいおじいちゃん(=わたしの祖父)は、大きいおじいちゃんと年が離れているうえに、数年ぶりに兄が帰国したので、はじめは知らないおじさんが来たのだとおもった。

 

 以上が、我が家のファミリーストーリーのひとつである。くりかえし語られ、補足され、おばあちゃんのストーリーが接合されて、家庭内のドミナント・ストーリーとなっている。この話自体に嘘や隠蔽や捏造は無いだろう。

 なにより、わたしはこの話が好きだった。30代にもなって迷惑なことに徴兵されたが、幸運とちょっとした技能で生き延びてきたおじいちゃん。たいへんだっただろうけれど、飄々と歴史の荒波を受け流した。この物語のなかでは、満州もシベリアもバイカル湖も、どことなくロマンティックな響きをもっていた。

 

 ところがきょう、この本を読み始めて、急にいろいろなことを考え始めた。

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

 

 本書はポーランドにおけるユダヤ人狩りに従事した、ドイツの第101警察予備大隊を扱った歴史書である。ホロコーストといえばナチスの親衛隊がまずイメージされるが、本書の対象である警察予備大隊は基本的に「おまわりさん」の部隊である。当時、警察に入れば徴兵されないという仕組みがドイツにあり(実際はだいぶ軍隊に組み込まれるのだが)、いわば戦争に行きたくない、地元にとどまっていたい妻子持ちの男性が警官になっていた。その警察官がまとめられて部隊となり、東方の占領地域の警備にあたっていた。隊員の多くはナチ党員だったが、どちらかというと筋金入りのナチスではなかったらしい。平均年齢は33歳。本書のタイトルにあるとおり、「普通の人びと」の部隊だった。

 その警察予備大隊の「普通の人びと」が、ポーランドユダヤ人を絶滅収容所に移送する任務に従事してゆく。あるいはユダヤ人を街で、駅で銃殺してゆく。

 

 途中まで読んで、うちのおじいちゃんはどうだったんだろう、とおもった。そのことに突然気づいて動揺した。おじいちゃんが戦地で具体的に何かをしていたという事実や疑念に直面して動揺したのではなく、上述の「おじいちゃんの物語」のほのぼのとしたやわらかさの内側だけにわたしとわたしの家族がいたことに気づいて動揺した。

 おじいちゃんが所属した部隊は、おそらく第125師団だろう。かれの本籍地が岡山と推測されるためである。

第125師団 (日本軍) - Wikipedia

 上記Wikipediaでは1945年1月20日に師団創設とされている。もしこの師団の兵員として満州に送られたなら、約7ヶ月は日本陸軍の兵卒として現地にいたはずである。もう一つの可能性としては第39師団の補充兵として送られたかもしれない。これ以上は厚生省に問い合わせてみなければわからない。

 正確なところはまだわからないけれど、最長で7ヶ月は現地にいた。その間、かれはだれかに銃口を向けることがあっただろうか。引き金を引くことがあっただろうか。あるいは向けられただろうか。捕虜になる以前、満州の中国人やソ連兵となんらかの接触はあっただろうか。

 「徴兵された」「満州へ送られた」「シベリアへ送られた」「帰国させてもらった」というように、「おじいちゃんの物語」の短い叙述の大部分が受動態で述べられている。これはわたしがいま文章上の工夫としてそのように書いたのではなくて、実際におばあちゃんや母がわたしに語った語り口をそのまま転写しただけだ。この受動態はおじいちゃんやおばあちゃんの実感として事実であろうし、実際にそのようにしか語ることができないだろう。かれは望んで戦地に行ったのではないし、すすんで捕虜になったのでもない。歴史の荒波に翻弄され、どうしようもなかった。とはいえ、数ヶ月の兵営生活や、その後の捕虜生活では、ミクロの領域では能動の部分もあったはずである。そこにはさまざまな可能性がひそんでしまう。それはほとんど語られなかった。そのことに自分が20年以上気づいてこなかったということに動揺している。