GoT・Season8が完結する。その復習としてS1から順に観なおしている。
というわけで、あえてSeason1で好きなシーンを挙げてみたい。
1.ジョンの初体験未遂を聞くワクワクサム(S1-E4)
ナイツウォッチ見習いになった庶子ジョンと、同じく見習い同期生のサム。サムは一応エエトコのボンなのだが、出来が悪すぎて勘当扱いで「壁」に送られた。こいつほっとくとやべーなというかんじでジョンが半ば一方的に面倒を見てあげている。掃除中、ジョンが自分と同じく女性を知らないことを知り、親近感マックスになるサム。だがジョンは「初体験未遂」体験があったのだ!
字幕では「やり方を?」「心得てるよ」とわりとお上品に訳されているが、スクリプトを確認すると
Didn't know where to put it?(どこに入れたらいいかわかんなかったの?)
I know where to put it.(どこに入れるかは知ってるよ)
と、おまえら中学生かみたいな会話だった。
ハァハァ(;´Д`)しながら髪の色や胸のサイズを聞くサムがほんとオモロイ。
この後、娼婦との行為が未遂に終わったのは、自分のような庶子を増やすことになると考えてしまったからだとジョンが説明する。そのジョンがS7でデナーリスと交わることができたのは、かれがデナーリスとの間に庶子や家といった価値観を越えた愛を見出したから、ということなのだろう。ところがそのジョンは実はデナーリスと同じくターガリエンの血筋で…という皮肉で複雑な筋になっている。ここで語られているのはそうした大掛かりな伏線の端っこであるわけで、実は大切な会話なのだった。
2.膝立ちから一人で立ち上がれないサム(S1-E7)
晴れて見習いから正規の守人になり、誓いの祈りを捧げる若者たち。
膝をついて祈りの聖句を唱えるのだが、そのあと肥りすぎて一人で立ち上がれないサム。手を取って立ち上がらせてやるジョン。ああ、ジョンはこういうところから人々の信望を得てゆくんだなと感じさせると同時に、おまえもうちょっとなんとかならんのかというサムのキャラも際立つ。ほんの数秒の演技だしセリフも入ってないけど、演出が巧いですね。
3.ティリオン・ラニスター捕縛の助力を旗手たちに求めるレディ・スターク(S1-E4)
王都からウィンターフェルに戻る途中のキャトリンが、壁から王都へ帰る途中のティリオンと邂逅してしまう。最初キャトリンは顔を伏せようとするが、ティリオンの方から声をかける。ティリオンは自分がブラン転落・暗殺未遂の下手人としてキャトリンから疑われているとは思っていなかったので、そのまま声かけちゃったのだった。宿にいる旗手たち、その臣下たちに威厳をもって声をかけ、ティリオン捕縛の助力を乞う。「剣と魔法」ものファンタジーの王道をゆくようなセリフ回し。ほんとお母さんカッコイイ。
この宿屋での偶然の出会いとティリオン逮捕が、ラニスター家とスターク家の紛争を激化させてゆくきっかけになる。S1のストーリー全体の流れを決める場面でもあった。1枚目、キャトリンの隣にいるヒゲのおじさん(スターク家の忠臣ロドリック。S2E6でシオンに処刑される)が剣の柄に手をかけ、刃傷沙汰が今から始まりますよと周囲の客に示している。3枚目、シレッと無関係のように眺めてるブロンもいい味出している。S1のなかでも一番良いシーンではなかろうか。
ちなみにこの直前にキャトリンに歌を披露しようとしている吟遊詩人はこの後のエピソードでジョフリーの命により舌を引っこ抜かれている。
4.初見で即ヤバイとわかる高巣城母子(S1-E5)
ティリオンを捕縛後、ウィンターフェルに直帰するとラニスターの追手に捕まると考え、妹ライサ・アリンがいる高巣城に向かったキャトリン。久しぶりに会った妹と甥だったが、おそらく10歳は越えている息子に人前で堂々と母乳を与えていた。
捕虜のティリオンが「(大丈夫っすかね…?)」みたいな顔でキャトリンを見るのが面白すぎる。S1はこの二人の演技が他から一段上というかんじ。あとはサーセイ役の女優さんも実力派なのだが、サーセイはとにかくキャラが複雑すぎてS1の時点ではまだ入りきっていないようでもある。なので、S1は実質的にティリオンとキャトリンが支えているとおもう。
アリン公の死後、ライサが精神のバランスを崩していることと、唯一の嫡子ロビンも知的発達に問題があることを示している。このロビン役の子役俳優、目の泳ぎ方などが異様に巧い。
5.部下に許嫁を殴らせるジョフリー陛下(S1-E10)
ネッドのクーデターを鎮圧後、すみやかに本性を現したジョフリー新王。
「王は妻を殴ってはならぬと母に言われた」からの、部下に命じる勅令ビンタ。この展開は全く読めなかったぜ。
このシーンは「母に言われた」とジョフリーが言っているのがミソで、かれの母サーセイは何度も夫ロバートにビンタされていた。だからサーセイは、夫は妻を殴ってはいけない、王は王妃を殴ってはいけないとジョフリーに諭していた(ことがこの一言でわかる)。この教育はサーセイの立場として至極まっとうなものである。彼女もいろいろ業の深い人ではあるが、「あなたの父はわたしを殴った、あなたは父のように妻を殴ってはならない」と諭すのは、どこまでも筋が通っている。サーセイとジョフリーにそれぞれ歪んだ部分があっても、この教育が通じるならば、その部分だけは二人のあいだに「正しいもの」が成り立ったということになる。しかしジョフリーはそれを完全に裏切る。しかも部下に殴らせるという斜め上の方策で。
6.母さんにも殴られたことのないジョフリーを殴るティリオン(S1-E2)
で、なんでジョフリーがビンタにこだわるかというと(そこまでこだわってもないが)、E2で自分が叔父ティリオンにビンタされてるので、その恨みをとりあえずサンサで晴らすという面も無くはない。サンサを殴らせてもティリオンへの恨みが晴れるわけではないのだが、ジョフリーはそういうやつである。個人に対する恨みとは別に、自分が受けた暴力や恐怖を増幅して別の他人に発揮する。そうすることで自分を守ろうとする。
7.三人は死なないと退屈なドスラク披露宴(S1-E1)
好きなシーンというか、個人的にずっと問題だと思っているのだけれど、デナーリスが嫁いだ「ドスラク人」の描き方がステレオタイプすぎませんか。「遊牧民」「略奪」「蛮族」「半裸」「暴行」「迷信」が軸で、肌の白い人たちから見た「タタール・アジア的なもの」ばかりで文化が造形されている。〈七王国から見た、野蛮人としてのドスラク人〉と、〈デナーリスやジョラーが内部で見た、独自の文化や価値観をもつドスラク人〉が区別されて表現されるといったこともない。ドスラク人の描き方の陳腐さは、ゲーム・オブ・スローンズという作品の大きな欠点だとおもう。
8.ぴちょん君みたいなヴァリス(S1-E8)
地下牢のネッドを訪れるヴァリス。の衣装が、黒いぴちょん君で妙にカワイイ。
9.レディ・スタークに敬礼する北の王の兵士たち(S1-E10)
毅然とした表情を崩さずに陣営を歩くキャトリン。距離を取って深く頭を下げる兵士たち。ネッド・スターク刑死の報がロブの陣営にもたされたことが、前後の説明抜きに観客に伝わる演出。
10.偉大なるカール・ドロゴに最後の名誉を贈る「カリーシ」デナーリス(S1-E10)
呪い師の治療と呪術で一命をとりとめたカール・ドロゴだが、その霊魂はすでに肉体を去っていた。偉大な王は馬にも乗れず、妻を見ることもない、生きた屍と化した。「カリーシ」は夫の息をふさぎ、黄泉の国に還らせる。
個人的に自分はデナーリス役の女優さんがあまり好きではない。キャラ的な表情を場面ごとに切り替えているだけで、サーセイやサンサと比較するとあまりに演技の幅が乏しい。
ただ考えてみると、女優さんが上手くない・役に合っていないという面もあるが、そもそもデナーリスというキャラに人間的な個性がほとんど与えられていないという点が大きい。彼女は自分の意志を越えた運命に翻弄され、導かれて、東の大陸の巨魁にのしあがってゆく。これは裏返せば、彼女自身の想いや思考や人間味といったことはさほど重要ではない、ということでもある。サーセイは徹頭徹尾、自分の「業」で生きている。デナーリスにはそれがない。いまひとつ裏付けのないカリスマ性と、強いドラゴンと、その場その場でイケメン彼氏がいるだけである。
しかしこのシーンだけは、デナーリス自身の思考、想い、業がある。自分で考え、自分で決断し、自分で苦しみ、自分で手を下している。そして彼女は炎の中を歩み、ひとびとを畏怖させる。
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