しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

カール・レフラー考

 さる伝統ある大学の名誉も実績もある教授が、自分の論文に、存在しない神学者の存在しない論文を「引用」した。ということがバレて、クビになった。本も絶版となった。

研究活動上の不正行為に関する調査結果について|東洋英和女学院大学

 

 いったいこの事件は、世の中の研究不正のなかでも、とても不思議な事件であるようにおもう。その不思議さを少しかんがえてみたい。

 

研究不正の種類 

 世の中の「研究不正」には主に4種類ある。

1 お金をちょろまかす。

2 他人の論文から出典を明記せずにコピペして、自分が書いたものであるかのようにごまかす。

3 データを捏造したり、画像を加工する。

4 研究に参加したひと(インタビューなどに応じてくれたひと)の人権を侵害する。

 

 大阪大学の若い地震学者が、熊本地震地震計の観測データを捏造したのは3にあたる。小保方事件も3である。

大阪大元准教授、地震論文5本で不正 17本の判定を留保 - 毎日新聞

刺激惹起性多能性獲得細胞 - Wikipedia

 

 2は剽窃と呼ばれる。最近では以下のような事件があった。

『「創作子どもポルノ」と子どもの人権』 お詫びと回収のお知らせ - 株式会社 勁草書房

 

 文科省は研究不正の「認定」を平成28年度ごろから行っていて、一覧がウェブサイト上で公開されている。

文部科学省の予算の配分又は措置により行われる研究活動において不正行為が認定された事案(一覧):文部科学省

 このリストでは、不正行為の種別として「盗用」「ねつ造」「改ざん」「二重投稿」を挙げている。ざっと見たかんじ、いわゆる文系はほぼ「盗用」で、「ねつ造」「改ざん」はいわゆる理系に集中する。

 

人文学と研究不正

 そもそも人文学者は一般的に研究不正をしづらい。今回の事件は2にも3にもあてはまらない。強いて分類するならば、「データの捏造」に入るのだけれど、一般に科学者が実験データ等を捏造・加工して論文に利用することと、今回のケースである存在しない論文を引用することには、さまざまな違いがある。

 最大の違いは、非常に容易にバレる、ということである。理系の実験データ等の場合、実験や観測で得られた「生データ」は論文の執筆者(研究プロジェクトの関係者)が保管している。論文の内容に疑義があった場合、論文著者はその生データを提出する義務が生じる。したがって追い詰められたら逃げられない。しかし、これは裏返すと、バレなければやりすごせるということでもある。理系の研究不正が明るみに出る事例の多くは、グラフや画像があまりにキレイすぎるとか、どうにも不自然であるとか、他の画像と酷似しているといったことをきっかけにしている。つまり論文の表面から疑義をもたれるということである(もう一つのきっかけは内部告発である)。ごまかし方や加工の仕方が下手であれば見つかるが、巧くやっていればスルーされてしまう。少なくとも「これぐらいならバレないはず…」と勘違いできてしまうという構造になっている。

 これに対して、人文学では基本的に引用する過去のテキストはすべて公開されている。カントでもニーチェでも、批判・校訂済みの全集が公刊されている。どの出版社のいつの全集の何年版の何巻の何ページ、と指定すれば、基本的にテキストの内容が全て確定する。「誰にも知られていないカントの著作」などというものは存在しない。もし存在して、その研究者だけが知っているならすみやかに公刊すべき、ということになる(それはそれで業績として評価される)。だから嘘をつけない。仮に適当なことを言ったなら、すぐさまテキストに詳しいひとが出てきて、その巻のその頁にはそんなこと書いてないはずですが、と詰められる。なかなか堅苦しく見えるけれど、それが人文学の基礎ラインであって、そこはごまかしようがないということを学生・院生は当然学んでゆく。これは理系の実験・観測データがすべて公開されているのに等しい。

 マイナーな学者の著作であっても同様で、印刷されてどこかの図書館に残っているのである限り、引用した元の文献は別の研究者にチェックされる可能性がある。それが大前提である。「すごくマイナーな作家のマイナーな私家本で、うちの書庫にしか存在しません」という場合、まずそのことをかなり丁寧に釈明してから参照する必要がある。

 

動機はどこに?

 このような文化であるから、人文学で研究倫理の指導をされる場合、基本的に2の剽窃が想定される。3については正直想定外である。

 

 ところが、このひとはこれをやった。さすがにカントの存在しない著作をでっちあげたのではなく、ほとんど知られていない神学者の論文という手法だったけれど、それでも同業者が調べれば即座にわかる。

 理解にこまるのは、動機がまったく読めないということである。研究不正の動機は一般的に3種類である。

1 私服を肥やしたい

2 業績を挙げなければというプレッシャー

3 なんとなく業界を舐めている。あるいは感覚の麻痺。

 

 厳しい境遇に置かれた理系の若手研究者がプレッシャーに負けてデータ捏造に走ってしまうという構図は、わかりやすい。許されることではないにしても、その心理自体は了解しうる。

 小保方さんは2と3の混合タイプであったように思われる。科学とは厳密なもの、という基礎的な教育を受けないまま、こういうふうにしちゃっていいんだよという感覚で突き進んできた。ただ、プレッシャーだけでなく、名誉欲や自己顕示欲も絡まっていたので、余計に世間の注目を巻き込んだ。(それを利用してさらに突き進んでいったというところに彼女の一種のオリジナリティが無くはない。)

 これに対して、今回の教授は、すでに功成り名を遂げた学者である。少なくとも、この不正をしなければ失職するというところに追い詰められてはいない。本を一冊だそうが出すまいが、給料やポストに影響しない。業績を増やしたければ論文のネタはいくらでもあるはずで、わざわざ今回のような手をこんだことをする必要がない。定年退職を一ヶ月後に控えた銀行員が突然顧客の預金を80万円ほど着服するようなものだ。

 

なにか歪んだもの

 だから、動機が無い。だが実際にやった。これは何なのだろう。大学による調査報告でも動機については書かれていない。

 ぶっちゃけて言うと、この「存在しない著者の存在しない論文をこっそり自分の論文に引用する」という手法は、人文学の研究者なら一度は妄想するのではないかとおもう。少なくともわたしはやってみたら面白いだろうなと思ったことがある。ただ、この面白いというのは文芸としての面白さであって、研究としては上述したようにありえない。いわば「民明書房」ネタである。民明書房は、引用元も本文も全て虚構だということが最初から断られているので許される。これは文芸ですよというサインが明示されているなら問題ないが、プロとしての研究論文では当然許されない。

 

 なぜ文芸として面白いと思うのか。それは一つには、真実を引用して別の真実を作るという構築形式をそのまま利用することで、虚構を引用して虚構を作るということができることにある。非常に精細な存在しない町の地図を製作することを趣味にしているひとがいるが、これに似ている。存在しない論文をいくつも引用して、存在しうるような論文を書くことは、存在しない町役場や学校や川を配置することで、存在しうるような虚構の町を立ち上げることに似ている。箱庭やジオラマを作るような感覚であろうか。

 しかしそれがしたいのなら、文芸としてやればよかったのだった。論文を書いて本にして売っているのだから罪は重い。だからどうにも、虚構の世界を作り上げる面白さ、箱庭を作るようなワクワク感だけが動機であったとも思えない。

 そうした文芸的な面白さをついつい追求して一線を越えてしまったというよりは、もっと確信犯的なものがあるような気もする。つまり、引用と論述という人文学の基礎的なスタイルに対する深い侮辱のような情念である。

 人文学は引用のネットワークによって成立している。Aという著名な哲学者の著作がある。B氏とC氏がAについて論文を書く。D氏が、B氏の論文とC氏の論文を引用して自説を述べる。B氏がD氏の論文を引用して反論する。E氏がそのB2論文とC氏の別の論文を引用し…というように、無限に連鎖してゆく。論文を書くことは、その網目の中に自分を組み入れることである。網目の中には重要な著者も無名の著者もいる。ただ、重要も無名も、そこに連なる網の濃さの違いにすぎない。網目は平面に広がっていて、その平面上の点であることに変わりはない。したがって、ある意味では無名も有名も平等である。ひたすら引用し、(運が良ければ)引用されてゆく。平等になるとは無価値になるということである。人文学を行うことは、自分が引用の網目のなかの平等に無価値なノードの一つになることを受け入れることである。ノード自体に価値は無い。ただ網目の総体にのみ価値がある。そこに学問の謙虚さということが生まれる。

 ところが、この事件のひとは、網目のなかで自分の「価値」を失うことをおそれた。すべてが無価値なノードであるなら、そのなかに虚構を混ぜ込んでもよいのではないかと考えた。そこにはひそかな優越感がある。人文学といったって、所詮は引用の繰り返しじゃないか、という侮蔑がある。それを続けている限り、自分は「本物」ではないという不安であるかもしれない。わたしはそこに空疎さを読み取らざるを得ないような気がする。

(2019/5/15追記 最初「学長」と記していましたが、当該事件の教授は「院長」でした(院長と学長が別々に設置されている)。間違えて書きました、すみません)

 

2019/5/19追記 今回の事件を扱ったものではないが、学術振興会の黒木登志夫先生のスライドがとてもわかりやすかった。

https://www.jsps.go.jp/j-kousei/data/2015_3.pdf