しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

ふみふみこさんの同世代感がはんぱない

ふみふみこさんの漫画が好きで、たまにぽちぽちと買って読んでいる。

どこらへんが好きなのか。ひとつは使われていることばが不思議とやわらかいこと。シュークリームの皮みたいなかんじ。それから、線がやわらかいこと。線もことばも、狙って「やわらかく」することはできる。そういう漫画はたぶん多い。この人の作品はそうではない。やわらかさに芯がある。

 

作品を読んでいると、なぜか不思議と、このひとは自分と同世代なんじゃないかなあと感じる。なぜかわからない。作品の中に世代を示すような記述がいくつか出てくることがあるが、それだけが理由ではないとおもう。線の作り方や話の運び方といったところに、時代の雰囲気(雑な表現だが)がじわっと染みているような気がする。

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『愛と呪い』137頁

 高校生の主人公がタバコを吸う。著者の半自伝的作品とされるこの漫画では、タバコは社会や家庭に対する反抗を示す記号ではなくて、むしろもっと身体的なもの。他人に見せつけるために吸うのではなくて、自分の「口を塞ぐ」ためにくわえている(だからタバコをくわえるシーンは何度か出てくるけれど、彼女がタバコを道端などに捨てる場面は出てこない)。身体の内側と外側の境界に開いた穴にとりあえず「蓋」をする。次のシーンで、主人公は自分に告白してきた同級生男子に、自ら口淫する。あるいは援助交際で年上の男に抱きしめられるとき「胸の穴」が塞がれているように感じる。自分の身体を記号にしている。著者の描線は、表面的には虐待を受けて壊乱してゆく自分の主観的状況を激しく表しているようでありながら、どこかそこに徹しきれない。

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ど根性ガエルの娘』2巻、12話

 同じく(そうした体験を「同じ」と括るべきではないのだけれど)幼少期からの家庭内虐待を扱った『ど根性ガエルの娘』の描線と比較してみるとわかりやすいかもしれない。この作品では描線と著者と登場人物と作品が常に一体である。それが良い悪いということではない。

 これに対して、ふみふみこ作品の描線は、心情をべったり塗り込んでいるように見せかけて、じつのところ、すっと突き放している。その線が、著者と登場人物と読み手の距離感を絶えず微細に揺り動かしながら、身体と物語がふちどられてゆく。線の一本をすっと引っ張るとふっとほどけそうな。そういう記号になる。(なお、最近のひとには左上コマの円筒形のデバイスの正体がわかるまいよ…)

 

自分より若い世代も、年上の世代も、このひとの線を描けないし、その線が含んでいるじとっと渇いたまま放置されてるかんじを読み取れないのではないか、とさえおもう。

 

なのでなんとなく同世代なんやろなって思っているまま今Wikipedia見たら1982年8月生まれって書いてあって、学年が1年先輩でしたすんません(滝汗。みたいなかんじにひとりでなっている。すんません。

 

 

愛と呪い 1巻: バンチコミックス

愛と呪い 1巻: バンチコミックス