しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

わたしはいつ「かめはめ波」を出すことをやめたか

この問いはかなりはっきりと答えを出すことができて、自分の場合、小学2年生のどこかである。

なぜ2年生と断言できるかというと、この学年のときに引っ越したのだけれど、後述の「かめはめ波打ち切り」を意識したのが引っ越し先の新居のトイレの中でのことだったからだ。したがって正確には「2年生以後のいつか」ということになるはずだが、3年生になると自由帳に架空の鉄道車両や艦船の平面図を書くことに熱中していた。この「設計図」ノートにかめはめ波が入り込む余地は全く無いので、やはり2年生のうちだったということだとおもう。

 

なにが起きたのか。2年生のどの季節のことだったかまではもう思い出せないけれど、わたしは自宅のトイレに座っていた。そのとき突然に(しかしいろいろな伏線が事前に張られていたのだろう)、わたしは気づいた。もしかして、自分は「かめはめ波」を出すことができないのではないか。この仮説を検証するために、わたしはトイレの洋式便座に座ったまま、両手の平をあのかたちに結んで、しずかに、しかし満身の力をこめて「かめはめ波」を出そうとしてみた。そこで完璧なかめはめ波が出るとはもちろん思っていなかったが、ちょっと弱いかんじの青白いエネルギー弾がぽこんと出てくる可能性までは、まだ検証されていなかった。30秒ほどぐっと力んでみたが、エネルギー弾はかけらも生じなかった。そこでわたしは、自分はかめはめ波が出せないという結論を得た。

この検証をおこなう前、わたしは自在にかめはめ波を出せると思っていたのだろうか。おそらく、修行次第だと考えていたのだろう。「一輪車に乗れるようになる」「宇宙飛行士になる」「内閣総理大臣になる」「タイムマシンに乗る」「自由に空を飛ぶ」などの「そのうちできるようになるかもしれないこと」の想定リストのなかに、「かめはめ波」は無理なく同居していた。スペースシャトルから手を振るテレビの中の毛利衛さんと、ナッパやベジータかめはめ波を打つ孫悟空。ふたりは同列の存在だった。2年生のころ、わたしはかれらとは別の人間だったけれど、のぞめば同じことができるとぼんやりおもっていた。

ところが、そのときトイレのなかで突然に、「できない」という存在様態がわたしに芽生えた。それを他人から強引に学ばされたのではなく、自分自身でひとりきりで試すことができたのは幸運なことだった。おそらくそれはトイレという一人きりの個室であったことと無関係ではないだろう。わたしは、自分がかめはめ波が出せないと学んだ次の瞬間に、アニメの世界と「本当の」世界との区別もついていなかったのかという「恥」の概念をも学んだのである。

これらの一連の発見が獲得されるまえ、わたしはただひとつの世界に生きていたのだろう。スペースシャトルも、ナメック星も、外国も、絵本の中の世界も、すべて「地続き」だった。もうすこし進んで言うと、この世界に住んでいる限り、わたしは実際にかめはめ波を出すことができたのである。道で見つけた手頃なサイズの枝は最強の剣になった*1。友達もかめはめ波を出し、なにか特別の剣を見つけて振るっていた。

ところがあのトイレの実験を経て、わたしの世界はさまざまに枝分かれし、複層化した。「できない」を学ぶことで世界が別の意味で広がるというのは、不思議なことである。

*1:先日、やはり5歳から6歳くらいの背格好の少年が、枯葉の山の中からこのうえなく素晴らしい太さと長さの枝を見出し、「そうや、これや、これなんや…」という表情でじっくりと手と目で眺め回しながら歩き去るのを見たとき、わたしはかれの冒険の始まりを見送る魔法使いのような気持ちで静かに祝福のことばを胸にもった。