しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

石榴を食べる

おばあちゃんに会いに行った。虫眼鏡を盗られた、ハンコを盗られた、としきりに訴える。盗られないように大事に隠すのだという。しかし隠したことを忘れてしまう。見つからない。おじいちゃんが使っていた大事な虫眼鏡なのに。なぜ無いんだろう。あんな大きなものが消えるはずはない。誰かが盗ったに違いない。そういえば同じ階のxxさんはこないだ挨拶したとき返事がなかった。なにか自分に恨みを抱いているのかもしれない。彼女が盗んだのだろう。虫眼鏡が無いから新聞の字がわからない。昔はテレビで言っていることで分からないことは全部おじいちゃんが教えてくれた。東京の大学に行った賢いひとだったから。

 

 わたしは、そのおじいちゃんが撮った写真のアルバムを見つけたのでおばあちゃんに見せに行ったのだった。一番古い写真は昭和40年。旅館の前の道路を掘り返して地下鉄が敷設されている写真。あのころは必死にはたらいとったから気づかへんかったわ。三越がのうなったんはさびしかったなあ。三越に毎日散歩にいっとったで。店員さんとも仲良うなってな。奥さんこんなんありますよぉ言われて、ああええもんあるなあお金貯めて買おうかなあ思たりな。そういや奥の方に喫茶店あったね、と母が継ぎ足す。この旅館の建て替えに使った石は大谷石いうてええ石で、おじいちゃんの麻雀の友達の市の部長さんが建築屋さんを紹介してくれてな。あの建築屋さんクリスチャンやったよ。紅葉の木もらってきて、石榴も植えて大きなったなあ。


その石榴の実はわたしも食べたことがある。思い出した。昨日隠した虫眼鏡のことは忘れてしまうのに、半世紀前の旅館の石材のことは昨日のように思い出す。不思議なことだ。そのあとおばあちゃんをお寿司に連れていってあげた。そのことも忘れてしまうだろうか。わたしはしばらく覚えておこう。