しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

からだが触る

 今はもう昔のことになってしまったけれど、学部生のとき、全盲の学生と共に授業に出て板書内容をノートPCに打ち込んでゆくという有償ボランティアをしたことがあった。授業後、その学生が白杖で足元を探りながら教壇上の老教授のもとに近づいた。そのとき、老教授は、学生の手の指の骨が盛り上がっている部分に、自分の手の同じ部分をすっと近づけてすっと触れた。外見上は「拳と拳を打ち付ける」ようなかたちだったと言えなくもないけれど、「拳」というほど力強いものではなく、お互いにすこしだけ丸めた手の、人差し指から小指までの背の部分をそっと、すっと触れ合わせたようなかんじだった。そうして触れることで距離がじかに感じ取れたらしく(たしかその老教授は「ああ、もうちょっとこっち来なさい」と声をかけていた)、学生はゆるやかな磁力に誘引されるように疑いなくあゆみでた。

 これ以上にやさしい「触れ方」というものをわたしはその後も見たことがない。手と手が触れ合っていたのはほんの一瞬の、さらに十分の一くらいの瞬間で、けれどもそのとき真に確実ななにかがそこに生まれていた。「こつん」というかんじですらなく、「すっ」とか「ふっ」といった様子で一瞬だけ触れて、すぐに引き取られた。押し付けすぎることも距離が足りないこともなく、速すぎるのでもおどおど迷って出すのでもなく、絶妙に触れた一瞬で全てが成立した。つまり、ここにいるよ、という応答である。それだけで、その学生の存在全体が受け入れられ、授業後のざわざわした広い教室内の、教壇上の小さな空間が特別な場所になった。おそらく教室内のほとんどだれもこの奇跡的な日常動作に気づいていなかった。触れるということには、ときに、こうした特別なことがある。

 

 これはまた別の話であるけれど、先日、わたしの妹が赤子を抱いていたとき、彼女のかつての同級生の母親が、妹に出会うなり、彼女の頭をなでた。そのまま頭をかき抱いて、抱きしめるかのような動作の入り方だった。実際にはそこまで密に抱きしめるのではなかったけれど、外見上は頭にそっと触れる(いま思い出すと「撫でる」ほど大きな動作でさえなかったかもしれない)だけで、あとは見えない身体が抱きしめているかのようだった。

 その様子は「ひどい目にあった人を慰め、ともに悲しむ」という雰囲気にも似ていた。実際に悪いことがあったのではない。むしろ新生児の出産はこのうえなく「良い」出来事であるし、妹も同級生の母親もネガティブなものに打ちのめされていたのではない。一方で、出産と育児の大変さや疲れは妹の体力をごっそり奪っている。その顔色をそのまま見て、同級生の母親はそっと髪に手をむける。慰めというより「いたわり」に近いかもしれないけれど、「労をねぎらう」というのとも違う。たいへんだったね、今もたいへんだね、という応答が一瞬で伝わっている。その間、彼女は妹が抱く赤子は見ずに、妹の顔だけをまっすぐ見ている。

 

 これもまた今となっては昔の話になってしまったけれど、東北地方のある小さな町で、地元の人たちのほがらかな宴の場に混じっていたとき、ひとりの男の子が大人たちの間に入ってきた。この少年とその家族は、あの大海嘯のあとにこの町に移り住んできていた。だから町のひとたちは、この少年を、地元で生まれ育った子どもたちと同じように、そしてさらに増して大切に大切にしていた。ところでその町の寡黙な写真屋さんが、この少年が通りがかったとき、突然Tシャツの背中に腕を入れて、手のひらでごしごしごしっと数度、かれの背中を強く摩擦した。少年はこの扱いに慣れているらしく、こそばそうに身をよじり、笑って逃げた。

 このときの「ごしごしごし」は、「そっと」とは全く対照的な、力のこもった動作だった。とはいえ大人の力が本当に子供の身にまともにぶつかっていたなら、かれは痛がっただろう。腕に力がまっすぐ入っているのだけれど、手のひらは大きくやわらかく広がって背中をつつみこむ。じっと見ていたわけではないのだけれど、そういった動きであったようにおもいだされる。お、ここにいるなあ、おまえがいるなあ、ここにいるのがおまえなんだぞぉ、というかんじ。

 

 これもまた今はもう昔のことだけれど、行為を終えた若い恋人たちが、何を話すでもなくお互いの手のゆびを軽く絡めあって、指の腹で相手の手のひらを探り合っていたのだけれど、そうしていたこと自体にしばらく気づいていなかった、という描写をなにかで読んだ記憶がある。指先が相手の手のひらに触れる、すると相手の指がそれに応えてうごき、探り返してくる。同じ動作をオウム返しにするようでいて、お互いに微妙に応答を変えながら触れ合っている。それは信号の交換のようでもある。しかしその間、意識はほとんど無音である。指を絡ませあっていること自体を意識のもとで言語にしていない。指と指がなにかを語り合っている。ふとした拍子に我に返り、2人の指がきわめて複雑なことをしていたことに気づく。その瞬間に言葉が意識のほうに戻ってしまい、もう同じように指を触れ合うことができなくなってしまう。たしかそのような文章だった。

 なぜか、思い出すままに書き連ねました。