しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

災禍の定義と「支援」(アンヌ・ブッシィ「フクシマの災害と災禍に対する社会の反応」(2015))

災禍の経験を通して、また、半世紀以上の多岐にわたる研究により、「災禍」は時代とともに様々な定義を与えられるようになった。(…)定義にこだわりすぎるのは無意味で無責任なことに思えるかもしれないが、フクシマの被害者のように、常に支援が必要な被災者にとって、定義問題は死活問題である。石田葉月やセシル・ブリスが批判するように、災害後に実行された公的機関による政策は的を射たものではない。ところが、保険に関するものだけでなく、国や関連機関が取った政策は、定義の選択によって正当化され、非常に明確な基準に裏打ちされている。このように支援を実施するか否かを決定するのは定義であり、それに基づいて権利があると認められたものにだけ支援が適用されるのである。この定義選択と政策基準は、現状をどのように理解し、どのように対処するのかによって決められる。したがって、定義の問題は、取るに足りないものでも無益なものでもなく、決定的な要因なのである。ここにおいて定義することは政治行為そのものなのである。

アンヌ・ブッシィ(藤原理人訳)「フクシマの災害と災禍に対する社会の反応」、『死生学・応用倫理研究』20, pp. 97-98, 2015.