しずかなアンテナ

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展開が無いことの恐ろしさ: 『ペリリュー 楽園のゲルニカ』6巻

 武田一義平塚柾緒(太平洋戦争研究会) 『ペリリュー 楽園のゲルニカ』6巻(ヤングアニマルコミックス、2019年1月)を読んだ。感想を書く。

 

 本作は、太平洋戦争末期のペリリュー島の様相を、主に日本陸軍の兵士たちの視線から描いた物語である。同島の日本軍は戦争終盤に玉砕するが、その後も生きのびた兵士たちがわずかにいた。1巻の途中で米軍が本格的に上陸し、3巻で同島守備隊司令官が自決する。組織的戦闘はその時点で終わるのだけれど、主人公ほか掃討作戦を生きのびた少数の兵士が再度集結する。4巻、5巻で彼らはわずかな希望を見出し、部隊としての秩序を再建し、独自行動を始める。

 この40名ほどの生き残り部隊がどうなってゆくのか、なんとか生きのびて日本に帰れるのかということが、6巻を読み始める読者のさしあたりの関心となる。

 

 そのつもりでこの6巻を読み始めたのだけれど、わたしはこの読み方が、つまり「彼らはこの先どうなってしまうのだろう」という、主人公たちの動向や物語の展開のうねりを追ってゆくという読み方が、間違いであったらしいということに読了して気づいた。間違いという表現はおかしいのだけれど、この作品はそのような物語を提示するものではないらしいと感じざるをえなくなった。

 端的に言って、「展開」というものがないのだ。たしかに表面上の紆余曲折はある。出来事は描かれる。4, 5巻で一応あたえられていた希望が6巻では再び打ち砕かれ、登場人物の幾人かが死に、主人公をさまざまな感情が襲う。しかしそれは「物語」としての展開ではない。もっとざっくり言うと、登場人物の死や部隊の壊乱に「意味」が与えられないのである。

 たとえば普通のアクション映画や戦争映画では、作中で主人公の仲間や家族が死ぬといった場面は、物語全体と主人公の行動に転機を与える節目としての意味を付与される。「主人公たちのチームが行動を開始した」「敵組織の魔の手がチームを襲う」「主人公の仲間のひとりが自分を犠牲にしてチームを救う」「主人公は怒りを燃え立たせ、ついに敵組織をやっつける」というように、仲間の死であるとか、その他の出来事が、物語全体を有機的に組織するための蝶番の役割を果たす。別の言い方をすると、「あの場面での出来事がきっかけとなって、主人公はあのように行動したんだ」という納得(共感)を読者/観客は獲得し、物語を登場人物たちと共に体験してゆくことができる。

 ところが、この『ペリリュー』にはそれがない。ひとつずつの死や出来事がすべて放置され、物語の有機的なつながりに回収されてゆかない。兵士たちの死は、ときに1頁1コマのなかに何人分も押し込められて、ときに一人に数ページをかけて描かれる。しかしその出来事が物語の転機を作ることはない。兵士が死ぬ。主人公は驚愕し、悲しみ、恐怖に襲われ、埋葬し、あるいは逃げる。それらは全て、主体的な行動というよりは、状況に対する「反応」である。仲間の死に発奮して主人公が機関銃を手に取り、敵兵士をなぎ倒して完結!……ということには決してならない。反応は物語を作らない。

 こうして、作中で出来事は連続して起き続けるものの、読者が普通追うべき「展開」や「物語」は決して示されない。これは作品としてものすごいことだとおもう。状況が進行している間は物語が本質的に存在しえないということが、戦争や災厄の体験の核心だからだ。起きていた事実を淡々と描くという点では、大岡昇平の『レイテ戦記』も同様である。しかしレイテ戦記はあくまで比島決戦とレイテ島の闘いの全容を神の視点から描いており、この点で物語としてのうねりは無いが、歴史的叙述の起伏は含んでいる。なぜレイテ島で悲惨な戦況が生じたか、日米の各部隊はそのときその場でなぜそのような行動を取ったのかということの理由が解きほぐされてゆく。これに対して、『ペリリュー』の描写はほぼ一貫して兵士の視線に定位しており、歴史的叙述の視点は与えられない。全体像が無い。それゆえ一層、ひとつずつの事件が歴史や物語に有機的に編み込まれず、死や苦闘の意味の無さが際立たされてゆく。

 展開や物語が可能になるのは兵士が故郷に帰ってからである。回顧するとき初めて意味が分節されてゆく。ところが外野にいる多くのひとは、この構造(内部で体験している最中は物語は不可能で、脱出したあと初めてその作業が始まる)を無視してしまう。90分で終わる映画か何かのように、戦地の状況を「こうなったから、こうなって、こうなった」という展開のなかに押し込めようとする。その設定から外れることを言うひとが逆に非難されることさえある。『ペリリュー』はこの安全地域式フィクションを解体する作品である。

 

 

ペリリュー ─楽園のゲルニカ─ 6 (ヤングアニマルコミックス)

ペリリュー ─楽園のゲルニカ─ 6 (ヤングアニマルコミックス)