しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

藤本和子『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』

 結婚して四年たって、子どもが生まれた。女の子。それから三年して、男の子が。夫は子どもはほしくない、といったけど。そして三度目の妊娠。これは夫もあたしも計画していなかったもの。夫はひどく動揺して中絶しろといった。あたしはその子を産まない理由はない、と思った。産もうと思った。夫の態度がいやだった。でも結局、中絶専門の診療所へ行って。その時あたしの話し相手はあなたの姑さん(ジョンソン財団の企画員をしていた)だけだった。彼女がずっと傍にいてくれて。

 中絶を決意したのは、そうしなければ離婚だ、と夫がいったから。あたしは何が何でも結婚を壊したくないと思ったのね。中絶手術は不完全なもので、あたしは死にかけたの。子宮外妊娠だったのに、医者はそれに気がつかなくてね、手術のあとで、破裂して、ひどい目にあって。妊娠四ヶ月目だった。あとで医者は、とても助かるとは思えなかったといっていた。

 死にそうになって、これこそ男のためになら何でもする女というものの究極的な姿だとわかった。男の気に入るためには、中絶までするのよ! 子宮外妊娠で、結局あたしが子どもを殺したわけではなかったということだけが、せめてもの慰め。

 その後しばらくして、夫は離婚したいといい出してね。あたしは自分が三十歳になったら死ぬような気がしていたのだけれど、子宮外妊娠で死にかけた。でも死ななかった。あたしがここで死ななかったのは、あたしの人生にはなにか大きな目的が与えられているのだと考えてね。その後の人生はもうあたしのものじゃないような。宗教的な面でも以前より真剣になったし、仕事にもずっと真面目に取り組むようになった。そしてその頃夫が離婚のことをいい出した。あたしは、あたし自身を家庭生活に捧げることこそ人生の目的なのかもしれないと考えて、仕事を辞めようとしたら、夫はさらに離婚の決意を固くしてね。たしかにこの男性との関係にあたしは多くを注ぎ込んできた、でもある日、仕事に向かう途中思ったのよ。

 「もしこの結婚はもう続けることのできないものなら、もし何か別の使命のために諦めなければならないということなら、そうしよう」

 こころの準備はできた。(後略)

 藤本和子『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』岩波現代文庫、2018年、50-51頁。