しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

「場所が選ばれていく」

――撮影する場所はどうやって決めるのですか。 

 最初はホームレスのダンボール小屋がヒントだったんで、ホームレスが小屋を作ってるような場所で撮影してたんですよ。橋の上だとか公園とかね。そうすると、おまわりさんに注意されたりするんですよね(笑)。「こんなところに小屋作るな」とか、「何やってんだ」とか。ピンホールで撮影してるっていう説明がちょっと大変で、いろいろ移動してる間に、小屋を作っても怒られないような場所で撮影するようになった。(…)

 カメラといっても大きいですからね。どこでもできるってわけじゃないんです。設置する場所を見つけるのが大変です。ちょうどその感覚は、ホームレスが小屋をどこに作ろうかというのと似ているかもしれない。(…)

 

――つまり積極的に探したと言うより、いろいろな条件によって決まってきたということですか。

 まあ、そういうことです。あと、ピンホール写真の性質にもよるんですけど、何を写すっていうことはあまり問題にならない。狙ったものを撮れないんですよ。

 露光時間が長いということもあるし、動くものは撮るのが難しいですね。それからピントがないんです。何にピントをあわせるという操作は不可能です。なぜなら、始めから全部にピントが合っているから。非常にやわらかなピントですけどね。それから、何かに向けて画面を合わせるということもちょっと難しい。おおよその方向、おおよそこちら向きくらいな感じです。何かあるものをとらえる、狙ったものを撮るということは難しいですよ。ある方向の風景がなんとなく写っているというくらいのものですね。(…)逆方向から、場所が選ばれていく。

  

宮本隆司「受動としての写真 「ピンホールの家」以後」、笠原一人・寺田匡宏編『記憶表現論』昭和堂、2009年、117-118頁)