しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

仮にセネガルが追いついたとしても、西野監督の判断を擁護したかどうか

ポーランド-日本戦の終盤、別会場でセネガルがコロンビアに負けつつあるため、日本は1-0で負けているにも関わらずパス回しをして時間を稼いだ。そして警告数差により決勝トーナメント進出を決めた。

 

観客からブーイングを受けるけれども、西野監督はあえて安全な敗北を保つことで、より大きな戦略的勝利を手にした。多くのひとが彼の判断が合理的であると追認し、称賛した。

わたしも、なるほどそういう判断が可能なのかと感心した。

 

けれども、セネガルがコロンビアに追いつく可能性もあった。もしそうなっていたら、セネガルが追いついたと知らされた瞬間、パス回しをしていた日本代表は再度あわてて反撃にでなければならなかっただろう。それはたいそう喜劇的な光景だっただろう。多くのメディアやサポーターは西野監督の選択を非難しただろう。

その世界線で、なおも「いや、それでもあの状況ではパス回しをするのが合理的な判断だったんだ。ただ賭けが裏目に出てしまっただけなのだ。賭け自体は十分成算があったんだ」と西野監督の判断を擁護するひとはどれくらいいるだろうか。たぶん、勝利のあとに追認するひとよりはずっと少ないだろう。自分がその環境にいたら「みっともないことをしたなぁ、セネガルを甘く見たのかなぁ」と批判的に見ていただろうとおもう。

 

勝ったら追認して負けたら擁護しないのであれば、それは結果から「合理性」を逆算しているだけなので、本当の意味での合理性ではない。

しかし現実世界では、こういった、結果から「合理性」を逆算するという心理がどうしてもはたらいてしまう。

 

ワールドカップにほとんど興味がないのですが、このようなことをぼんやり考えました。

 

サポーターがゴミ拾いするのは現地の雇用を奪ってるんじゃないかというまあよくあるアレ - しずかなアンテナ