しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

「生活保護は家がある人のものだから帰れ」

 私が初めて野宿する人の生活保護の申請に同行して福祉事務所に行ったときのことを少しご紹介しましょう。その方Aさんも初めから生活保護を希望していたわけではありませんでした。60歳になり年金を受給できるようになるが、住所がないので困っていると相談してきたのでした。そこで私は住所がないのは家がないからだから、生活保護でアパートに入るほうがよいのではないかと勧めたのです。いろんな経緯があったのですが、Aさんはついに生活保護を申請する決意を固めました。私は、Aさんと一緒に福祉事務所に向かいました。窓口の若い職員に生活保護の申請に来たのだと告げると、少々さげずんだような目つきで相談申込書に必要事項を記入するように言いました。Aさんは氏名などを書いて「住所」のところでふと顔を上げ、どうしたものかと尋ねました。私はいま寝ている場所を書けばいいよと答え、Aさんはその場所を書き込みました。するとその職員は「これは何だ、生活保護は家がある人のものだから帰れ」とえらい剣幕で怒鳴ったのです。これには驚きました。日本国憲法が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を平等に保障しており、生活保護法が生活保護受給権を具体的権利として保障し、保護を申請する権利を認めているのに、「住居」もないほど生活に困窮しているがゆえに、生活保護を申請する資格すら認めないと福祉事務所の職員が言ったのです。(…)

 家がないから保護ができないという福祉事務所の理屈に対しては、行政不服審査請求を行い、それが間違っていることを認めさせました。

 

笹沼弘志「日本社会を蝕む貧困・改憲と家族」、『右派はなぜ家族に介入したがるのか 憲法24条と9条』大月書店、2018年、102-3頁。