しずかなアンテナ

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アメリカで中絶が違法・道徳的悪となった経緯

州によるが、現代アメリカでは人工妊娠中絶に強い制約が課されている。Pro-choice(女性による選択に賛成=中絶の権利に賛成)派と、Pro-life(胎児の生命を守ることに賛成=中絶に反対)派の論争はアメリカ社会を二分するものだというイメージがある。中絶論争は宗教観(とりわけキリスト教原理主義の)の争いでもあり、容易に解決しえない社会問題である。

 

しかし19世紀半ばまで、アメリカで人工妊娠中絶は違法ではなく、道徳的悪とはみなされていなかった。ということを昨日読んだので、少し紹介してみる。以下、コンラッド&シュナイダー(進藤雄三監訳)『逸脱と医療化』(ミネルバ書房、2003年)の20-23頁より。

逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書)

逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書)

 

 

南北戦争以前には、堕胎は日常的に見られるものであり、多くは様々な種類の医師や助産婦によって行われる合法的な医療行為であった。胎児が動いたと最初に感じられる、いわゆる「胎動の始まり」(quikening)という現象が起こったと確かめられるまでは妊娠しているとはみなされなかった」。

「胎動が始まる前の堕胎は道徳的、あるいは医学的な問題を一切起こさなかった」。「19世紀初頭におけるアメリカ人女性は胎動が始まる前であれば自由に堕胎することができたのである」。

 

1840年以降、堕胎は次第に一般的になってきた。堕胎診療所は繁盛し、おおっぴらに新聞や雑誌で広告を行った」。1840年以前には妊娠中絶を行うのは未婚の低層階級の女性が主だったが、この頃から中上流階級の女性がこうしたサービスを利用し始めた。

 

1850年代の初め、道徳改革運動者であるホラチオ・ロビンソン・ストラー医師をはじめとする何人かの医師たちが、堕胎の危険性と不道徳性について医学専門誌や大衆雑誌に記事を書いたり、州議会でロビー活動を行い始めた」。彼らは胎動の始まりと無関係に中絶に反対した。1859年にはアメリカ医師会で中絶への非難決議を採択させた。「フェミニストは堕胎が女性の健康を脅かすものであり、女性に対する抑圧の一部を形成するものだという認識に基いて、この改革運動を支持した」。宗教界指導者はこの問題に関与することを避けていた。反対運動の牽引役となったのは医師だった。医師たちは1866年から1877年までの間に、中絶は刑事犯にあたるという法律を州議会で通過させるうえで重要な役割を果たした。

 

 なぜ医師が中絶反対運動を牽引し、違法化に関ったのか。第一に、急激な出生率の低下に対して、医師だけでなく政治家が危機感を覚えていたこと。「よりよい階級の」既婚女性の中絶が出生率の低下に影響し、代わりに大家族の移民が押し寄せていることに彼らは気づいた。「堕胎に反対する立場は階級差別主義者や人種差別主義者の考えを暗に反映していた。なぜなら、不安は単にアメリカを救うために必要な、壮健でアメリカ生まれでプロテスタントの血統が充分でなくなるかもしれないというものだったからだ」。

 第二の、最大の理由は、医師の専門職化を助け、正規医師の独占支配を作り上げるため。当時アメリカには医師資格の法がなく、多くの者が「医師」を名乗っていた。正規の医師たちは、科学的で倫理的な医学を標榜し、自分たちの規範としてヒポクラテスの誓いを採用した。とくにこのヒポクラテスの誓いが中絶を禁じていた。「これらの運動において、正規の医師たちは文化的および専門職的支配という社会的な目標を、道徳的および医学的な言葉に移し変えたのである」。結果、比較的短期間のうちに各州で中絶が違法化され、中絶に対して無関心あるいは寛容であったアメリカ世論は態度を硬化させることになった。「1900年までに、堕胎は違法というだけでなく逸脱していて不道徳であるとされたのだ。医師による道徳改革運動は堕胎を逸脱的行動と定義することに成功した」。

 

以上まとめると、

・19世紀半ばまで、アメリカでは胎動が始まるまで妊娠とみなされなかった。それ以前の中絶は違法でも道徳的悪でもなく、日常的に行われていた。

1840年代、中絶処置を行う診療所が拡大した。中上流階級の既婚女性がこうしたサービスを広く利用するようになった。

1850年代、一部の医師たちが道徳改革運動として中絶反対運動を始めた。彼らは中絶の違法化に成功した。

・政治家が違法化に賛成したことの背景には、白人の中上流階級女性の中絶が拡大するとこれらの階級の出生率が低下し、大家族移民に国を乗っ取られるのではないかという階級的・人種的差別観があった。

・正規の医師たちが中絶反対運動を展開したのは、中絶処置を行う(彼らから見て)非正規の医師たちを市場から排除するためだった。中絶の違法化・道徳化はいわばその手段だった。

ということになる。

 

 

 この19世紀後半の過程でキリスト教がほとんど関わっていないことが興味深い。逆に、いつからこの問題が宗教の問題とみなされるようになったのだろうか。この点は本書では言及されていなかった。また、胎動が始まった後の中絶についてはどのような扱いだったのだろうか。今後、関連書を読むことがあればまた紹介してみたい。

 

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