しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

タイリュウの台所実験

 ずいぶんと子どものころ、大きくなったら何になるのと聞かれると、科学者になりたいと答えていた記憶がある。野球選手やテレビタレントや宇宙飛行士ではなかった。

 

 科学者ということで何をイメージしていたのか。それは、白衣を着て、顕微鏡を覗き、野山で昆虫を採集し、火山の火口を見にゆき、望遠鏡を覗きブラックホールの謎を解明し、コンピューターをがちゃがちゃつなぐひとだった。

 

 いったい何の専門の科学者なのだ。宮沢賢治的世界観とでも言うべきか。『グスコーブドリの伝記』の中には棲んでいるような気もする。

 

 世界の分厚さへの素朴な信頼があったのだろう。それは主に、両親の無理の無い教養の影響下に育てられた。

 とりわけ母は、科学の眼を持つひとだった。ある日、わたしは小学校でタイリュウというものを習ったと言った。少しして、母は台所で透明なガラス容器に湯を沸かし、そこに紅茶の葉をたっぷりと入れてわたしに見せた。すると細かな葉が容器の中でぐるぐると縦方向に周遊していた。夕方には味噌汁の鍋の味噌が水面にもこもこと昇っては下に戻ってゆくさまを見せた。対流を可視化したわけである。

 こんなこともあった。95年の3月、わたしは風邪で学校を休んでいた。10時頃起きてリビングに行くと、テレビがただならぬ緊迫状況を伝えている。多数のひとが倒れ、とくに眼が見えなくなっているひとが多い、と伝えていた。母は「あれに似てるな、あの、松本の毒ガスの」と言った。正解だった。

 母は高度な科学教育を受けたわけではない。けれどときどき、不思議とこういったことをした。

 

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