しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

「その後の消息は不明」

群馬県高崎に生まれ、石川啄木の詩や本を愛した。亡き父の借金返済、母と妹の生活を支えるため、19歳で吉原へ。「騒いで酒のお酌でもしていればよい」という斡旋屋の嘘にだまされ、遊郭の花魁(娼婦)になる。「復讐の第一歩として、人知れず日記を書こう」と決意し、不安な気持ち、店で働く人たち、公娼制度の内実を記していく。(…)/廃娼運動が盛り上がり、脱出すれば自由廃業できることが花魁たちにも伝わる。光子は1926年4月「今日だ、今日だ。今日よりほかに自分のこの運命の絆を断つ日はない」と、歌人柳原白蓮の家に逃げこみ廃業に成功。日記が同年『光明に芽ぐむ日』として出版され、光子の書いたものを呼んで、仲良しだった千代駒も自由廃業。(…)光子は廃業に協力した外務省職員・西野哲太郎と結婚(西野は仕事を失う)、2冊目の『春駒日記』も出版。だが、結婚生活は長く続かず、その後の消息は不明。(大橋由香子)

北原みのり編『日本のフェミニズム Since1986 性の戦い編』河出書房新社、2017年、30頁。

 

引用は「フェミニスト図鑑4 森光子」のページから。

だまされて吉原に売られ、そこでの生活を「復讐の第一歩として」日記に書き留めてゆく。廃娼運動のなかで吉原を脱出し花魁を廃業する。書き溜めた日記を出版して世に知られる。そーゆー女のひとがいた。ただ、その後の人生がわかっていない。

 

「その後の消息は不明」という最後の一文に、くらぁんと打ちのめされたようなかんじがした。

なぜわたしはこの一文にショックを受けたのだろうか。わたしや世間のひとが知っていても知らなくても、とにかくこのひとは、ある時まで生きて、ある時に亡くなっている。最期の生き様・死に様が世に知られ、記録にとどめられたとしても、そのことが彼女の人生の幸不幸を全て決定するわけではない。亡くなった年や場所や晩年の様子が書かれていたとしても、読み手であるわたしはそれ以上のことを理解するわけではない。その記述の内側へ入ってゆくことはできない。

 

ただ、なんだろう、なんといえばいいのか… そのひとが、世の中や記録からふっと姿を消してしまっていたということへの戸惑いのような。本人の意志によってなのか、意志に反してなのか。恐ろしい運命に捕獲されて生活や命を奪われていたのかもしれない。あるいは、本人は「消息は不明」として扱われているとは思ってもいなかったかもしれない。作家活動を続けなかっただけで、何らかの仕方でごく普通に生きていたのかもしれない。

 

記録に残っていないことを知ったときの、奇妙な不安。それと同時に、歴史や世間にいちいち記録してもらわなくても、じぶんで生きてじぶんで死んだだけだ、という、ある種のすがすがしさ。けっきょくその後、彼女はどう生きたのだろうという、想像のふらふら。そういう感覚が混じり合って、ひとつのショックになっている。