しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

「いたたまれない」への抗議

「いたたまれない」という言葉は、日本語を学ぶひとにとってきわめて不親切な言葉だとおもう。

実質的に「いたたまれない気持ち」という表現でしか使うことができないからだ。

 

「いたたまれない」の使い方を覚えたとしても、そこから語彙が広がらない。「いたたまれる気持ちになりました」「あの場所はいたたまれますよね」「ちょっといたたんでいきましょうか」といった表現は無い。

 

辞典を引くと、

「彼奴(あいつ)めが我儘一杯(いっぺえ)を働いて、なかなか居たたまれねえ様にするから」(人情本・花の志満台1836-38)

「わたしが初ての座敷の時、がうぎといぢめたはな〈略〉それから居溜らねへから下らうと云たらの」(滑稽本浮世風呂1809-13)

などの用例があった。やはり「いたたまれる」とは言わないようだ。

 

「居る+堪らない」という語の作りなので、「たまらない」の時点ですでに打ち消しが基本になっている。

そのため「居心地が良い」という意味で「居堪る」という言い方はできない。

 

ただ、「たまり場」という表現があって、これは「居心地の良い場所、仲の良いひとたちが集まっている場所」を意味する。この場合は「たまり」が「いたたまれない」のちょうど反対の意味になっていて、おもしろい。

「たまる」だけでは「居る、居心地が良い」という意味をほとんど持たないのに、「たまり場」になると居心地の良さという意味を帯びてくる。しかし反対に居心地の悪い雰囲気、そこにいられないという感覚を表現するときは「たまれぬ」だけではだめで、「居」を付けて「いたたまれない」としなければならない。これも不思議で、面白い。