しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

神戸港150周年「世界一のクリスマスツリー」プロジェクトへの疑問

主にtogetter経由で知ったのだけれど、「世界一のクリスマスツリー」というプロジェクトが富山と神戸で進んでいるらしい。

 

 詳細は上記、神戸新聞の記事とtogetterまとめで把握されたい。プラントハンターの西畠某氏が「世界一のクリスマスツリー」プロジェクトと銘打ち、富山から樹齢150年の「あすなろの木」を根から掘り起こして神戸へ運び、「ルミナリエ」と同時期にメリケンパークにクリスマスツリーとして設置し、「神戸の復興と再生の象徴に」する、とのこと。別のポスターでは「輝け、いのちの樹」とコピーを打っているが、神戸市に植樹(移植)するのではなく、イベント終了後は裁断・加工してフェリシモ経由で販売する。

 どうにも、プロジェクトが全体にわたって理解できない。いろいろと批判は出ているのだが、おおざっぱにまとめるなら

1.「いのちの樹」と言っているのに最終的に材木にしてしまうのは矛盾

2.富山から運んできた木をクリスマスツリーとして飾ることが、なぜ震災の「復興と再生の象徴」になるのか

3.主催者は「議論を巻き起こすことが目的」言っているが、いわゆる俗悪「現代アート」的な予防線の張り方で不愉快

といったところにまとめられるとおもう。(さらにこのプロジェクトが「ほぼ日」のバックアップ?を受けていることがヘイトを複雑化させているらしい)

 

 じぶんはおおむね「2.」を中心に考えてしまうのだけれど、これ本当に、よくわからないのです。

 プロジェクト主催者の西畠氏は「プラントハンター」で、林業/樹林の専門家であるらしい。樹齢150年の樹を神戸に持ってくるのは今年がちょうど神戸港開校150周年にあたるから、ということらしい。ところでその樹を展示するのは、高さや規模などで世界一のクリスマスツリーとしてギネス記録を狙うのだという。そしてまた、樹を立てることは鎮魂につながり、上述のようにルミナリエの時期に重ねることで「復興と再生の象徴」を意味する、という。最終的には、これらのプロセス全体を通じて、林業や自然環境について議論を巻き起こすことが目的とされる。

 

 ごちゃごちゃしていて、けっきょく何が目標・目的なのか、わからない。

 震災が発生したのは1月17日であって12月25日ではないし、クリスマスと震災は日が近いだけで基本的に関係が無い(キリスト教徒の方々が持たれるイメージはわからないけれど)。ルミナリエが追悼/鎮魂の意味合いを今やどれほど帯びているかという問題はさしあたり別としても、クリスマスツリーを立てることは震災の復興や鎮魂云々を意味しえない。そもそもメリケンパーク以外に市内の商業施設ではおそらく何十本とツリーを立てているけれど、震災関連のメッセージが絡められることはほぼ無い。なぜといって、クリスマスは基本的に商業主義あるいは恋愛主義のイベントで、そこに震災のことを無造作に重ねれば顰蹙を買うことを商売人も市民もわかっているからだ。

 開港150年と震災も基本的に無関係だよね、という印象がある。もちろん、1995年の震災は神戸港の歴史のなかで第2次大戦と並ぶ最大の試練だった。震災によって、神戸港が誇っていたコンテナの取扱量は釜山などアジアの他港に奪われた。だが、150周年ということでおそらく市民が想起するのは、横浜などと並んで神戸港がまっさきに開港され、そこから「ハイカラ」文化をリードしてきたというわりとシンプルなブランド感覚ではないかとおもう。だから150年を記念して樹齢150歳の樹を移植するというのはそれなりにわからないではない。しかし、そこへ震災のことを絡められると、意味不明になる。

 「議論を巻き起こす」というのも、あまりに投げっぱなしであるように思える。たとえばシンポジウムや、「哲学カフェ」みたいな対話集会をセッティングしているのだろうか。そのような情報は見つけられなかった。富山や神戸でそれぞれ何度かそうしたイベントを開けば、それぞれの市民の生の声をそれなりに受け取ることができるのではないかと思う。そうした手続きを用意せずに「巻き起こす」だけでは、けっきょくただの炎上芸と変わりが無いようにも見える。かなりセンシティブなところを逆撫でしている、という自覚が無いのだろう。

 

 ようするに、プロジェクト全体がもちゃもちゃしている。「運んでくる」「クリスマスツリー」「開港150年」「復興と再生の象徴」「加工して販売」「議論を巻き起こす」という各工程の目的がそれぞれよくわからない上に、それらをつなげてゆくとさらに意味がわからない。公式サイトを見るとあれこれかっこよいフレーズが並んでいるけれど、基本的にこの「つながりの見えなさ」を糊塗するためのキャッチコピーであると感じる。軽い。

 

 わたしがいちばん問いたいのは、この西畠氏やプロジェクトに関わるひとびとが、「復興」や「再生」や「乗り越える」といったことを何であると考えているのか、ということ。震災で家屋を失ったひとが自力で自宅を立て直せば、それが「乗り越える」ということなのだろうか。家族や友人を喪ったひとがそれを「乗り越える」とは、どのようなことなのか。くよくよしなくなり、日々の仕事に打ち込むようになることなのであろうか。あるいは仮設住宅でアル中になり独居死していった中年男性たちは、「乗り越えられなかった」ひとびとなのであろうか。いま元気に生きているひとびとは、そうした”挫折者”とは違う立派なひとたちですよ、ということなのだろうか。

 そうしたことを考えてゆくとき、わたしはどんどん頭がごにゃごにゃになり、舌はもつれる。筆圧が乱高下し、何を書いていたかノートを後から読めないこともある。だから「乗り越える」や「再生」や「復興」といったことばを口頭でも文章でもおそらく全く使わない。そういった言葉を使わずに、それが真に意味するところを探り、表現してゆく。それが自分なりの、被災地への根の張り方であると信じている。このプロジェクトは、それとは正反対の営みではないかとおもう。