しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

被害者をだまらせる技法・再 山口放送「奥底の悲しみ」演出・クレジット非表示問題

 

 若手女性研究者による戦時性暴力の論文が、山口放送のドキュメンタリー番組に利用されたものの、研究者の氏名が番組にクレジットされず、さらに番組の独自取材であるかのように演出されている、という問題。研究者(山本氏)は番組ディレクターに著者名/論文題名のクレジット等について一定の配慮をするよう代理人を通じて求めたが、相手側からはゼロ回答しか返ってきていない、という。

 

 引揚女性に対する性暴力の存在については以前どこかで読んだのでうっすら知っていたが(というか、読んだのはこの山本氏の論文だった可能性が高い)、研究者とテレビ局との間でこのような問題が起きていたことは、研究者自身によるこの告発/公表によって初めて知った。

 すでに上記サイトで山本氏自身が整理されているので蛇足になるが、この問題には

(A)テレビ局が研究者の研究成果を利用しながら、研究者名をクレジットしない(さらにあたかも独自取材の成果であるように演出している)という著作権剽窃/あるいは道義上の問題と、

(B)若手女性研究者による戦時性暴力の研究成果を男性が横取りし、なおかつその事実を隠蔽しようとする、セクシズムの問題

が複合している。

 

 以下、主にBの問題について、いくつか感想を書きたい。

 上記サイトで山本氏が、山口放送ディレクターの対応に「セクシズムの問題」を読み取っているのは、きわめて的確なことであるとわたしはおもう。

 仮にこの著者が男性の若手研究者だったら、あるいはベテランの男性「教授」であったら、あるいは女性でも一定年齢以上の「教授」であったら、ディレクターの対応は同じではなかっただろう。最初からクレジットとして氏名を入れていただろう。

 ただし、「小娘あつかいして*1甘く見ている」というだけの話ではない。女性による戦時性暴力の発掘/研究を、地位・発言力のある男性が横取りし、制御しようとしているという点に、より根深い問題がある。

 もしこの研究内容が「再生医療技術のブレイクスルー」や「新たな物理法則数式の発見」や「本能寺の変について通説を覆す古文書の発見」であったなら、ここまで問題は”こじれ”なかったのではないか。むしろ「リケジョ」「レキジョ」などと研究者をアイコン化しようとしたかもしれない。

 (主語を敢えて大きく取った上での)「男性」にとって、女性が女性への暴力を理解し、告発することは、じぶんの存在を脅かす極めて危険な行為に映る。男性から女性への暴力を、女性が「知恵を付けて」告発してくる、ということだからだ。

 もちろん、これは非常に大雑把な「男性」というイメージのうえでの話である。この番組ディレクターはもちろん引揚女性に対する性暴力加害者ではないし、むしろ逆に、その暴力の存在を番組を通じて掘り起こそうとする立場である。

 ところが山本氏への対応においては、番組ディレクターは若手女性による研究成果を結果的に隠蔽・無効化しようとしている。結局、上記の大雑把な「男性」イメージに同化反復してしまっている。テレビと学術界の慣習のズレは確かにありうるものの、当の研究者からすれば、自身のプロジェクトに対して「男性性」が強力に介入・制御しようとしていると映っているのではないか。

 (おそらく、性暴力の発見・告発にかぎらず、そもそも女性同士が独自に何かをしようとすること自体を、このイメージとしての「男性」は許すことができないのだ。自分の目の届かないところで女性が独自に親密圏を作り出すことに恐怖を覚えるのだろう。自分がそこに参与しえないという疎外感のため、また自分の目の届かないところで生殖を始めるのではないかという不安のために。そこで「かれ」は自分の視線の先をすべて照らし出そうとする。ただし自分の下半身は暗がりのままにとどめておこうとする)

 

 番組ディレクターから山本氏への返信は、以前とりあげた伊藤詩織『ブラックボックス』での山口氏の返信と、どこか似通っている……というか、ある観点においては、これは本質的に同根のものなのだろう。

 

最後に、私はこの一連の出来事はセクシズムの問題でもあると思っています。第一に、女性の性暴力研究の成果を男性が自分のもののように発表するというグロテスクさ、第二に私からの批判に対する応答の問題です。佐々木氏は私あてに「外部機関に聞くならば、全てを話さないといけないので、僕はやらない方がいいと思います」「学術界と放送界のルールの違いから生じたことでしょうから、出るところに出ても何の解決にもならないと思います。お互いに傷ついて終わりのような気がします」などのメッセージを送ってきたのですが、私が男性だったとしてもこのような脅し文句をちらつかせたりするでしょうか。
 
そもそも「全てを話さないといけない」「傷ついて終わり」と言われても私にはまったく心当たりがないのですが、それでも複数回にわたってこのような文言が送られてくれば何らかの報復も覚悟しなければならないのかと弱気になります。
 
女性の研究を利用し批判を向けられると口を封じようとする。佐々木氏は「奥底」で描いた性暴力や二次加害を自ら反復するという逆説に陥っているのではないでしょうか。
 
 ここでは「被害者をだまらせる技法」が再度発揮されている。「お互いに傷ついて終わり」という表現は、「実は双方が被害者なんだよ」という”諭し・赦し”のメッセージを意味している。これはつまるところ「あなた自身もわたしに対する加害者なんだよ」ということであり、関係をイーブンに持ち込もうとする戦術である。そのことを”気づかせ”たうえで、そちらが告発を取り下げさえすれば、平和が戻ると脅迫的な慈愛でもって示唆するのである。
 なぜ、このような言い回し・語り口を、「かれら」はごく自然に、流麗に運用することができるのであろうか。そしてまた、なぜその言い回しが、みな同じなのであろうか。
 

*1:山本氏とディレクター佐々木氏の実年齢は存じ上げないのだが、学術振興会特別研究員という肩書から、佐々木氏よりやや年下であろうとさしあたり仮定させていただいている