しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

木が折れる

 先日の台風で大学そばの林の木が根本から倒れ、小道を塞いでいる。あの晩、わたしは投票のためにいったん実家に戻り、ずぶ濡れになりながらその小道を通っていた。その後に倒れたらしい。ちょっと、あぶないところだった。

 大学構内では、共通教育棟の中庭の松の木が折れていた。直径50センチほどの幹がぱっくりと割れ、白い断面が現れていた。まだ水を吸い上げているらしく、断面は白くひかっていた。折れた幹や枝を業者のひとたちがチェーンソーで裁断していた。

 草木には人間や動物と同様の痛覚は無いだろうけれど、折れた幹の断面をみると、それがみずみずしいだけに、どことなく痛々しく感じる。枯れた枝であれば、そこまでの感覚は生じない。割れる前日まではその樹が生きていたこと、いまもその根や根元の幹の細胞は生きているのだろうと感じさせることが、松への同情の背景にあるのかもしれない。そしてまた、どことなく、樹皮の内側の白い生々しい部分がさらされていること、それを見てしまったということが、痛々しさに直結している。人間の内蔵や血が噴出して現れているのと同じではないが、「断面」にはなにかそのような、見た者を粛然とさせるものがある。