しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

伊能図を正確だと直観できてしまうことのふしぎさ

伊能忠敬の地図が、不思議だなとおもう。

不思議なのは、あれを見たひとのおそらく全員が、「この地図が本物の地図なのだ」と確信してしまうということ。

 

それは江戸時代にあの伊能図を見た幕府の役人もそうだっただろうし、現代の人間もそう感じる。それ以前の地図と比べると決定的にちがう、ということがひと目でわかる。

 

この直観に確たる根拠は実は無いのではないか。だって、だれも、日本の地形を上空から見たことはないのだから。とくに江戸時代の役人は航空写真や衛星写真といったものを見たことがない。したがって、あらかじめ地形の正確さについての知識があったわけではない。けれども、伊能図を見れば、これこそが本物の正確な地図だと確信せざるをえなかった。

 

伊能図が正確なのは、測量をしたから。

伊能忠敬たちは、ある基準点からの距離と方位をくりかえし算出し、そうして得た座標群を縮尺して紙上にプロットし、地形を描出した。言いかえれば、ある地点はある地点に対して緯度経度でどれだけ離れているかということを、すべて数値で表現した。

 

しかし、「だから正確なのだ」という納得をしてしまうと、ここでの問いから滑り落ちてしまう。これはすでに「伊能図側」の時代にいる人間の納得の仕方である。

実のところ、測量とは何かということを知らない人間であっても、やはり伊能図の方が、それまでの地図と比較して、全く段違いに「本物だ」ということをすぐに確信してしまう。「数学的に測量を重ねた結果であるから」という説明は、伊能図の「本物さ」という直観を後から補充するにすぎない。伊能図とそれ以前の地図を見比べても何も違いを感じず、前者は測量によって得られた地図だと説明されることで初めて伊能図の方がなんだか正確に見えてくる、ということは、おそらくありえない。

 

伊能図が本物で正確だと直観してしまうのはなぜか。ひとつには、地形についての余分な情報が余すところなく含まれているからだろう。それまでの地図は、「だいたいこんなかんじ」というフィーリングで地形を描いていた。したがって、たとえば半島を描く際も、それがその半島であるというおおまかなカタチを描けばそれで十分であり、その半島の東側の海岸線と西側の海岸線のどちらがどれくらい長いか、どこに小さな湾曲があるか、といったことは省略された。船着き場になる湾など、役にたつ地形、目印になる地形であれば書き込まれた。基本的に「必要な」地形だけが選択された。

これに対して、伊能図はそうした「余分な」地形もすべて測量した。したがって、同じ半島でも、筆でシュッと描くのとは違って、独特の凸凹具合で描かれることとなった。人間の普段のフィーリングとは異質なものが表出されていた。*1

正確に言えば、要らないものも描いたというより、すべての地形を平等なものとして扱った、ということになろうか。全ての「場所」は、ただ緯度と経度の情報のみに変換された。重要な都市や街道などは、座標と地形描出が全て完了してから、あらためて付加的に書き込まれた。ある場所が重要か否かということと、その場所の座標の数値は全く関係が無かった。

 

すると伊能図が「正確」だと直観されるのは、実は人間の価値観や知覚からいったん離れて、数学的測量という仕方でリセットされているから、ということになる。伊能図を見たひとの「これこそが本物の地図だ」という直観の中身は、「これはぼんやりと描かれたものではない」という直観だった。

これは実はとても奇妙なことで、自分自身の錯覚や価値観や直観からいったん離れて提示されたものを、逆に「正しい」と直観することができてしまう、ということである。

 

このように考えましたが、だんだんと知識の不足が感じられますので、いったん終わることにします。

*1:伊能図でも川や山はけっこうシュッと描かれているんだけども