しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

「聞こえること」の解像度(4) モノノケの声

 聞こえること。何かが聞こえてくること。そのことを少しずつ考えている。

 

 昨日の夜、台風の暴風圏が差し掛かっていただろうころに、用事があって大学のキャンパスにいた。吹き付けてくる風に芯があって、建物の壁や樹の隙間を強引に押し通っている。どうどう、とか、ひゅうひゅう、といった音が断続して耳の回りを切ってゆく。そうした聞き慣れた音たちの中に、笛の音のような甲高い音がかすかに混じってくる。

 その音はほんとうにかすかで、どこから鳴ってくるのかわからない。

 音の方向に顔を向けると聞こえなくなる。別の方向を向くと、またその音が追いかけてくる。周波数と耳の角度の間に何かの関係が成り立っているのかもしれない。追おうとすると消え、フォーカスを外すと聞こえてくる。どことなく、遊ばれているような気になる。

 

 わたしをからかっているのなら、「それ」は意思を持つのだろう。昔のひとは、妖怪や妖精といった存在をそこに読み取った。聞こえるからそこに存在するというモノは、現し世のモノである。聞こえたり聞こえなかったりするからそこに存在する、というモノは、モノノケである。人間の耳の構造は、妖怪や妖精やモノノケを許容する。けれども知覚と実在を強固に結びつける科学的態度は、虚と実の隙間にに棲むモノノケを排除する。

 

 しばらく歩き回っていると、あの「笛の音」はグラウンドの金網が強風によって立てている音らしいと推測がついた。わたしの科学的態度によって、風のなかから笛の音で人を惑わす妖精やモノノケは消失した。けれども、音が聞こえたり聞こえなかったりしていたとき、顔をあちこち向けて、あれ?あれ?と耳を風に当てていたときは、わたしはまだそれほど科学的な身構えをしていなかった。耳や体はそういう仕組みを持っているようにおもえる。