しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

人間の腕がシオマネキ風だったら

 ひきつづき、左右のこと。

 もし人間の腕がシオマネキ風であったら、左右を意味する言葉は別のニュアンスを持っていただろうか。シオマネキはカニの一種で、オスは片方のハサミがとても大きくなる。

 たとえば、人間の右腕が男女問わず巨大で、左腕はとても小さかったとする。右腕は大きく、頑丈で力が強く、指が8本あり、器用である。左腕はか細く、指も2本しかない。人間の身体がたまたまそのように進化した、とする。

 そのような世界では、「右」「左」を意味することばと、「大きい」「小さい」を意味することばが重なるかもしれない。たとえば「すごくミギィな建物だなぁ、すごい技術が使われているに違いない」「この本の文字はヒダリィすぎてよく見えないよ」といった表現が使われるのかもしれない。

 けれども、左右と大小が同根の語彙で表現されると困ってしまうような事態もあるかもしれない。ミギィ=大きい、ヒダリィ=小さい、と翻訳できるとする。ケーキ屋さんで右側に小さなケーキが、左側に大きなケーキが置いてあるとする。そうすると、

「ミギィなケーキをください」

「こっちですね、ありがとうございます」

「あ、いえ、右に置いてあるやつじゃなくて、ミギィなやつです」

「失礼しました、右側のヒダリィ・サイズの商品ではなくて、左のミギィな方ですね」

みたいなことが起きるかもしれない。

 つまり左右と大小は、ある程度おなじ次元のなかを動いていることばである。だから上記のような混乱の例が簡単に想定できる。シオマネキ人類世界でも、左右と大小を同じ言葉で表さないかもしれない。

 他方、現実世界の英語のrightという語が持つ「正しい、強い、まっすぐ」という意味と「右」という意味は、あまり重なり合わないことがわかる。会話や文章中にrightという語が登場したとき、それが「正しい」なのか「右」なのかは、ほとんど悩まずに判定できる。「話きいてたけど、右に座ってる奴の言ってることは正しくないと思うよ」と言明する機会もあるかもしれないけれど、上記のケーキ屋の例よりは稀だろう。(新約聖書のどこかで、イエスが、正しい者は天国で俺の右に座るんや、と言っていた気がする。混乱するより先に、正しい奴を右に位置づけようという言語世界なのかもしれない)