しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

長生きするということ

 わたしの祖父の兄はたしか7年前に亡くなったのだけれど、かれは明治45年生まれだった。明治最後の年ということになる。ちょうど100才だった。亡くなる2,3ヶ月前にかれと話していたとき、話の流れのなかで、「あれは震災の前やったか…」と言うのだけれど、その「震災」というのが関東大震災(大正12年)なのか阪神大震災(平成7年)なのか、わからない。関東大震災のとき、かれは11才か12才で、神戸か大阪に住んでいたはずである。祖父(と祖父の兄)の父は岡山県の出身で、大阪府警に勤めたあと、退職して神戸で旅館を始めた。その旅館がわたしの母の実家ということになるのだが(緒花ちゃんですな)、明治時代に警官を退職したあと旅館をゼロから開業するというのもなかなか不思議な人であるとおもえる。それはともかく、阪神大震災のときわたしは11才で、関東大震災のときの祖父の兄と偶然同年代である。1995年の大震災のときかれは80代で、わたしもかれもやはり神戸に住んでいた。11才ごろの祖父の兄は、帝都の大震災の報を新聞などで読んでいたはずで、「あれは震災の前やったか…」と言うとき、それが関東大震災である可能性も無くはない(幸運なことに、かれは東日本大震災原発事故は知らずに世を去った)。

 関東大震災など完全に歴史の教科書の出来事だと思っていたのだけれど、人間たまたま100年も生きてしまうと、時代を隔てて起きていた2つの震災も、ひとりの人生のなかに収まってしまう。人間の持つ時間というものは、そういう不思議さがあるなとおもう。

 (なお、祖父の兄は終戦直前に根こそぎ動員で満州に送られ、そこでソ連軍の捕虜となってシベリアに抑留されるのだけれど、いま逆算してみるとそれはちょうど今のわたしと同じくらいの年齢のころのはずである。機会があれば、そのことも書く。)