しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

ガラスのからだを持つひとびと

「誇大妄想をもち、たとえば自分が王様であると信じている人は今日でも見られる。自分の体がガラス製であると思い込んでいる人はもはや見られない。しかし初期近代には、〔ガラスや陶器で自分の体ができていると思っている〕ガラス人間や陶器人間は比較的一般的であった。ジル・スピークは、1440年から1680年にかけてヨーロッパで見られたガラス妄想について研究しており、いくつもの症例を記述している。たとえば、1561年には、自分の臀部がガラス製であり、そのために座ると〔臀部が〕砕けてしまうのではないかと恐れている患者がレムニウスによって記述されている(レムニウスによれば、この患者は立っているときにだけ安心することができるとのことである)。1614年ごろには、割れることを怖がるあまり医師の勧めで藁製のベッドを使っているガラス人間の事例がアルフォンゾ・ポンセ・デ・サンタ・クルーズによって報告されている。その人物に対しては「適切に調整された炎によって正気に戻す」という異例の治療を用いたという。ガラス妄想はかつて狂気の範例であったが、今日では見受けられない。ガラス妄想は生命の脆さ・はかなさについての宗教的テーマを反映しているのだとスピークは考えている。信仰が薄い時代には、こうしたテーマが我々の心に触れることは少なくなり、今日では他の妄想が見られるようになったのである」(レイチェル・クーパー(伊勢田哲治・村井俊哉監訳)『精神医学の科学哲学』名古屋大学出版会、2015年、83ページ)

 

ガラスはいちど砕けると元には戻らない。救いのない脆さ。

宝石の国』の登場人物たちは、砕けるけれど、破片を接合すると元に戻る。あまり深刻な顔はしない。脆さのイメージにふしぎな違いがある。