しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

アメリカ退役軍人省の「PTSD脳組織バンク」プロジェクト

なんとなくググっていたら、えげつないプロジェクトのサイトを見つけたので紹介する。

 

www.research.va.gov

 

大雑把にまとめると、PTSDを抱える退役軍人から脳組織を死後検体してもらい、将来の研究のために収集保管するプロジェクト。

 

以下、抄訳。

「退役軍人省はPTSDの解明と治療のために全力で取り組んで参りました。こうした取組の一環として、退役軍人省は「PTSD脳組織バンク」に出資しています。PTSD脳組織バンクは、将来の科学研究のために、調査標本を収集・処理・保存・公開する人体組織バンクです。現在PTSDと診断されている、もしくは過去に診断されていた退役軍人、もしくは非退役軍人の方が参加を志望できます。脳疾患brain disordersを持たない人も受け入れます。抑うつなど、他の疾患をお持ちの方も志望可能な場合があります。以下のお電話番号までご連絡ください(略)」

PTSD脳組織バンクへの登録はいつでも遅すぎることはありません。あなたの現在の健康状態をお知らせくだされば現在の研究に役立ちますし、その情報があれば、死後の献体組織が将来の研究にとってさらに価値あるものになります。しかしながら、事前登録は必須ではありません。死後すぐの近親者からの同意も有効です。脳組織献体に関心を持っていることを、ご家族や友人に事前に話しておくことをお勧めしております。事前に話しておくことで、あなたの死後、ご家族のストレスを軽減することができます。」

「組織献体(脳、脊髄、脳脊髄液)はあなたの死後に摘出されますので、現時点ではそうした処置は行われません。」

 

 このほか、「一年に一回、電話もしくはメールで健康状態について簡単な確認を行います」「組織摘出後の遺体は元通りのかたちにします」「協力に同意しても、またそれを撤回しても、あなたが受けることのできる退役軍人福祉プログラムには一切の影響はありません」「献体処置をするための遺体の搬送経費はすべて当方が負担します」などの説明がある。

 

 このプロジェクトについて私が興味深いのは以下の2点。

 第1に、もともと社会的・歴史的文脈のなかで生み出されたPTSDが、結局は神経細胞のレベルに還元されて研究されてしまうということ。患者の脳組織をスライスして標本化し、顕微鏡で丹念に調べ、異常の原因をつきとめる……これは19世紀ドイツ式の精神神経医学そのものだと思える。これが悪しき「退行」なのか、正当な「回帰」なのか、それらのいずれでもないのかは、わからない。

 ただ、この案内を読む限りは、現時点で研究の明確な方法論や見通しがあるわけではなく、何かの役に立つかもしれないからとりあえず今のうちに標本を大量収集しておこうというスタイルに思える。構想が壮大というべきか、ガサツというべきか…。

 

 第2に、傷つき生きのびた退役軍人に、死してなお報国せよと求めるセンス。戦地へ送り出しておいて、その傷ついた身体にもまだ価値があるので献体してくださいというのは、私は「えげつない」と感じる。

 たとえば、公害事件を起こした企業や国が、被害患者に、研究のためあなたの体組織を死後も保管させてくださいと言ったとしたら、どのように思われるか。おそらく反発されるだろう。(仮に応じるとしても、被害患者と特定の医療者・研究者との間にきっちりとした信頼関係がなければ進まないだろう。)

 えげつないのは、人間の存在を「価値ある身体」に変換する工程を二度行うという点にある。政府は国民を科学研究・政策上の価値によって身体化する。志願や徴兵の健康調査で、身長や筋力やIQを測り、価値付けする。それは多くの政府が行う。このプロジェクトではさらに除隊後にも、傷ついた心身をなお研究上の価値によって標本にしようとする。いちど汁を絞りきった大豆の「おから」を、再度絞るような。

 このバンクに応じる退役兵士は存在するのだろうか。いるのかもしれない。