しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

2016年に書いたもの

2016年に書いたもの、学会で発表したことをまとめておくことにする。

(厳密には「2015年度」に含まれるものや、2016年内にpublishされなかったものも含まれるけれど)

 

その1 リフトンの修士論文

「R. J. リフトンのサバイバー研究における「変容」思想について」(2015年度修士論文)

 PTSDの生みの親であるロバート・ジェイ・リフトンという精神医学者を研究テーマに選んだ。日本でPTSDが言及されるとき、基本的に(1)自然災害や犯罪被害のトラウマによるものと、(2)アメリカの兵士が負うもの、という2パターンのイメージがある。(1)の流れが生まれたのは1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が大きい。(2)の流れはベトナム戦争帰還兵から生まれて、このイメージはイラク戦争の帰還兵にも反復されている。

 ベトナム帰還兵がアメリカで不眠やフラッシュバックなどの心理的症状、また家族・恋人との衝突や定職に点けないといった適応障害に苦しんでいたのを、リフトンがかれらの話をじっくりと聞き、PTSD概念を第一次大戦の戦争神経症研究をベースに再整備して疾病概念として成立させた。これが基本ストーリーなのだけれど、このリフトンは広島の被爆者に対して初めて本格的な調査分析を行ったひとでもあった。

 ベトナム帰還兵といっしょにPTSD概念を成立させたひとが、その15年ほど前にたくさんの被爆者から聞き取り調査を行っていた。ベトナムと広島のこのリンクは何なのだ、というところから始まったのが自分の修士論文だった。答えとしては、リフトンは自分の被爆者研究を思想的なベースにしてベトナム帰還兵との対話を続けたということであり、これはかれの著作(Home from the War, またWitness to Extreme Centuryなど)にあっさり何度も書かれている。きわめてざっくりと言い切ると、PTSDの思想的源流のひとつは広島だった。(もうひとつの源流としてショアー/ホロコーストがあるはずなのだけれど、これについては自分はまだ調べきれていない)

 1995年の震災とテロ事件で日本社会はアメリカからPTSDを「直輸入」することになったのだけれど、その源流のひとつが実は国内にあったのだとしたら、1945年から95年までの50年間、わたしたちは何かたいせつなものを聞き落としてきた、耳をふさいできたのではないか。リフトンを研究してゆくと、けっきょくこういう疑問というか、ある種の政治的主張に帰結してしまう。トラウマの問題はパーソナルな問題だが、パーソナルなことは政治的なこと、歴史的なことなのだ。ここらへんの感覚を他人に話してみることもあるのだけれど、素直にわかってくれる人と、どことなく目をそらされてしまう人の二種類に分かれるよなーというのが実感。個人的には臨床心理学のひとがどう受けとるのか興味があるので、こんご機会を作ってゆきたいとおもう。

 あかん、長く書きすぎた。これは文学研究科内の賞をいただいた。嬉しかった。

 

その2 応用哲学会「災いを哲学してゆくということ」

 いろいろと調べものをして書いて発表したのだけれど、練り込み不足が否めない。でもわりと親切に聞いていただいて、とてもありがたかった。発表してよかった。

 日本での「災害研究」は、やはり社会学、心理学、精神医学、そして自然科学が蓄積が多く、そして哲学はほとんど何もしていない。原発事故にハイデガーの技術論を当てはめる論考はいくつも出ていて、とても勉強になるけれど、個人的には臨床的な取り回しの悪さ、小回りの効かなさを感じる。本当に切れ味のよいナイフやメスが必要なところに、重戦車が乗り込んでくるような感覚がある。

 

その3 臨床哲学研究会「小さなもの」

 これは学会ではなく研究室主催の研究会。2016年のいちばんメインの作品。これが書きたかった。これを書くために臨床哲学研究室に来たのだ、とさえおもう(因果関係がごっちゃになっております)。

 論文として通していただいた。公刊は年明けになりそう。

 

その4 「「心のケア」への違和感――熊本地震をめぐって - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

 初めてなんか大きいところに載せてもらった。嬉しかった。しかし熊本から遠く離れて、安全な神戸のカフェで原稿を書いたので、どうも「現場感」に欠ける。友人の宮前君が書いた記事(なぜ被災地はボランティアを活かしきれないのか - 宮前良平|WEBRONZA - 朝日新聞社)はこの現場感がじっくり溢れた良いものだとおもう。

 

その5 自衛隊&PTSD連載

[1]海外派遣隊員「自殺者56名」の背景 - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

[2]隊員への「心のケア」が抱える危うさ - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

[3]ベトナム戦争から生まれたPTSD - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

[4]PTSDの歴史――ベトナムからヒロシマへ - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

[5]防衛省の本音はどこにあるのか - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

 修士論文で調べたこと・考えたことを、「自衛隊」に当てはめるとどうなるか、という筋で書かせてもらった連載。じっくり書いたつもりだけれど、なにかジャーナリズム的に目新しい情報が含まれていたわけでなく、反響とかも特になかった。うーん厳しい。

 

その6 シン・ゴジラが楽しみだったので書いた

『シン・ゴジラ』が描く3・11後の戦慄(上) - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

『シン・ゴジラ』が描く3・11後の戦慄(下) - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

 シン・ゴジラが楽しみだったので、封切り初日の、さいしょの上演を観に行った。やっぱり面白かった。紹介記事を書かせていただいた。これは比較的読まれたようで、WEBRONZAのランキング一位をしばらく維持した。その後、朝日新聞紙面でもちょこっと紹介してもらった。庵野秀明の褌で取ったプチ金星だった。WEBRONZAの「今年読まれた記事ランキング30」に入っているかなと見てみたら、まったくカスっていなかった。甘くない。

 

その7 弟の個展の文章

 8月に弟が「望遠鏡と顕微鏡」という名前の個展を開いた。その宣伝?文章を書いた。どうも書くときに考えすぎたようで、展示された絵に覆いかぶさってしまう文章になってしまった。刺し身のツマの大根を作るつもりが、ぎとぎとの味噌をべたっと載せてしまったかんじだ。あと、個展は京都のカフェで行われたのだけれど、京都市街に合う文体と、大阪や神戸のそれはどこか違うような気がする。言い過ぎか。

 

その8 質的心理学会「 災害復興過程をめぐる人文学的アプローチの再検討 ―地震学者との対話を通じて―」

 グループ発表というものを初めて行った。一人あたりの持ち時間が10分くらいしかない! これはびっくりした。哲学関連だと短くて30分、45分から60分が相場だ。会場との質疑応答の時間がちゃんと取れなかったのは反省点。

 

その9 災害復興学会「 災害復興再考:「現場」という概念に注目した人文学的アプローチの挑戦」

 これもグループ発表で、「その8」と「9」は同じ友人に誘っていただいて発表したもの。「現場」ってそもそもなんやのん?というテーマ。わりと評判が良かったらしい。短期集中だったけれど、小さな思い出がたくさんある。行って良かった。

 

その10 枚方市の保健センターと日本語よみかき教室の紹介原稿

 まだパブリッシュされていない。いろいろな方に手伝っていただいた。感謝。4か月児健診と赤ちゃんがかわいかった…!

 

その11 「日本人はリフトンをどのように読んできたのか」

 文学研究科紀要『メタヒュシカ』に、修論の一部を載せていただいた。年明け発送作業とのこと。日本で知名度低いリフトンのことをとにかく紹介したいという文章なのだけれど、あまり煮詰まった内容ではない。どう書けば良かっただろうか、手抜きだったんじゃないか、と反省している。

 

その12 DC2申請書 → さっくり非採択

 きわめて遺憾であるよ…!!

 

 11月から12月にかけて書いた文章もあるけれど掲載が年明けになるのでここでは省くことにする。いろいろがんばって&楽しんで書いたけれど、DCやPDの申請書の業績欄でどれくらい「点数」になるか考えてみると、なかなか厳しい。