しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

「間」を獲得する甥(2歳)

10日ぶりに甥とその母(わたしの妹)と会うと、以前と違って会話に「間」ができていて、びっくりした。

 

具体的には、甥が妹に何か言ったあと、彼女の返答をうまく待つようになっていた。そのため、両者とも声を出していない時間が生まれている。客観的には0.2秒くらいの時間だろうか。

 

格段に人間的な話し方というか、会話のような会話になっていた。

 

なぜ甥は間を獲得したのか。何が起きているのか。じぶんが言った内容が母親の頭の中をぐるりと周回して返答が彼女の口から出てくることをわかっている、ということなんだろう。それだけ甥の言うことが複雑になってきたということなのだけれど、それだけではない。返答を待つことができるということを裏返すと、相手には「あたまのなか」「こころのなか」があるということをぼんやりと理解しはじめた、ということではないか。

 

たぶん、甥の視点では、声とは相手の顔にぶつかって割れるものだったのだろう。それがいつのまにか、声とは相手の顔のおもてからどこかにすっと吸い込まれてゆくものになった。その「どこか」をのちに心とか頭とか言うようになる。そして自分の声が吸い込まれてゆくどこかは、相手の声がそこから出てくる場所でもある。相手の声は自分のどこかに吸い込まれている。そしてなぜか自分の声も同じ場所から外に出てゆく。内と外の区別が生まれる。