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Ciniiは研究者を幸福にしたか

 CiniiとAmazonが無い時代、院生や研究者はどうやって研究をしていたのだろう、と思う。

 Ciniiは日本語論文の総合検索サイト。日本国内では、ほかにJ-STAGEや医中誌WEBやメディカルオンラインといった論文関連のサイトがある。海外にもまたいろいろある。分野によって多少異なるかもしれないけど、自分はCinii無しの研究活動など考えられない。

 文系の自分にとって、Amazonも重要な研究インフラのひとつ。とくに震災関連は古い手記などがマケプレで安価で手に入るのがありがたい。

 

 大学の附属図書館の論文複写サービスもよく利用させてもらっている。Cinii等で論文の掲載誌を把握したあと、大学のOPACにつなげて、当該誌が学内にあるか調べる。豊中キャンパスの総合図書館にあればそのまま自分でコピーしに行くけれど、吹田キャンパスの図書館や、学外にしかない場合は、複写サービスを申し込む。実費(おおむね50〜500円)はかかるけれど、数日で論文のコピーが手に入る。こちらの手続きは窓口での支払い以外ブラウザ上完結する。

 こうして手に入った論文の情報やPDFは、Mendelayなどの論文管理ソフトにまとめる。

 

 分野や個人のスタイルによって多少の差異はあれ、現代の研究者にとって、これらの電子的リソースを使いこなすことが基礎スキルのひとつになっている。

 

 こうしたツールやリソースの普及によって何が変化したのか。それ以前の事情を知らないのだけれど、論文や書籍を入手する速度が飛躍的に向上したことは確かだろう。論文検索サイトでキーワードを打ち込む、めぼしいものをリストアップする、機関リポジトリにPDFがあればその場で管理ソフトに登録して、画面上で論文を読むorプリンタで印刷する。検索語の打ち込みからプリントアウトまで、最短で5分かからない。(よく知らない海外の雑誌とかの場合、ずるずる泥沼化することもあるが、それでもオンラインで解決する事例が十分おおい)。

 

 調達速度の向上によって、単位時間あたりに入手できる論文の数も増える。Ciniiは研究者をパワフルにした。

 ただ、それによって「良い研究」がどんどんできるようになったのか、研究者が幸福になったのかは、なかなかわからない気がする。

 昔は1日に1本の論文を確保するのが限界だったのが、1日に10本の論文を手元に集めることができるようになったとする。ただ、それを読む速度、咀嚼する速度、考える速度も10倍になるわけではない。

 論文を集めるのにかかっていた無駄な時間が省かれるのだから、考える時間もその分伸びるはずという考え方もできる。のだけれど、そんなに単純にゆくだろうか、ともおもう。のったりもったり、文献を探して図書館をさまよっているうちに、少しずつ考えが熟成してゆくという部分もある。アナログ礼賛のつもりはないのだけど。

 

 どれだけ多くの論文を把握してどれだけ上質の論文をどれだけたくさん書けるかが、現代の研究者同士の競争のひとつになっている。この仕組み自体は、必ずしも現代特有というわけではないだろう。ただ、「読んで考える」という根本的な部分の性能はおそらく向上していないのに、入力の量だけがどんどん増加しているのは、恐ろしい。胃のサイズは変わらないのに、お皿の数が飛躍的に増えている。