「うつは『心の風邪』ではなく『脳の肝硬変』」を読んで考えたこと

 うつ病は「心の風邪」とよく喩えられるけれど、むしろ「脳の肝硬変」と考えたほうが良い、というtogetterまとめを読んだ。なるほどな、と思った。

togetter.com

 まとめの中で指摘されていることだが、「心の風邪」という表現はもともと、「誰でもうつ病になりうる」という理念を共有するために使われていたはずだった。

 

 ところがこのフレーズにとって不幸なことに、日本の社会風土には「風邪ぐらい気合いで治せ」「風邪程度で仕事を休まれたらチームに迷惑がかかる」「ちゃんと体調管理していたら風邪になんかならないはず」という、〈職場連帯最優先型心身超克精神論〉が蔓延していた。

 したがって、「心の風邪」という喩えも、「気合いがあれば心の風邪になどならない」という、〈気合い精神医学〉に変換されることになりかねない。挙げ句の果てに、「気合い」は各自の自発性において盛衰するものだから、うつ病は自己の責任によるものとされ、真の病原であるストレスの発生源(職場や上司や受験や、社会制度や文化もろもろ)は隠蔽されてしまう。

 

 だから「心の風邪」という表現はやめて、うつ病とはいわば「脳の肝硬変」と考えるべきだ、というのが当該まとめの主旨である。「肝硬変」が過度のアルコールに晒され続けた肝臓が変質してしまう病であるように、「うつ病」とは過度のストレスに晒され続けることで脳の神経回路が変質し、その結果として気分障害が生じ健康な生活が立ち行かなくなる病である、と。

 

 

 じぶんがこのまとめを読んで思ったのは、うつ病にしろ他の病にしろ、「脳」によって説明されると多くの人がなんだか納得してしまう(納得したきぶんになる)のはなぜなのだろう、ということだった。

 

 「うつ病心の風邪なんだろ、じゃあ結局、当人の気合いややる気の問題じゃないのか」という暴論を吐いていたひとが、「そうか、脳の肝硬変みたいなもんなのか…」と考えを改めるとしたら、それはもちろんよいことだけれど、どことなくこっけいな気もする。

 

 しかし実際、自分を含めて多くのひとが、「脳」を持ち出されると納得してしまう。とくにCT画像を見せられたり、ナントカ神経細胞のナントカ受容体の感受性にナントカ遺伝子が関連している、などと言われると、印籠を前にした悪代官のごとく平伏してしまう。ああそうなのか、そういう病気なんだね、いままでわかってなくてごめんね、と。

 

 なぜ脳のCT画像で態度が変わるのか。これは不思議な喜劇でもある。日常生活ではほとんど眼にすることのない「脳」が、画像や科学理論として眼に見えるかたちにされる。見えないはずのものが見えるようになる、というところに、わたしたちの納得を強引に誘発するスイッチが隠されているようにもおもわれる。一方で現実の患者は目の前にそのまま現れ続けている、ということはしばしばあるのだけれど。