しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片を毎日1000字くらいで書く。

リスニング・テストの恨み

 中学・高校のころ、英語のリスニングのテストがとても苦手だった。いまも外国語の聞き取りに苦手意識があるけれど、このテストのせいではないかと半ば思っている。

 

 当時わたしが課されたリスニング・テストは穴埋め式だった。短い文の中の一語が空欄になっていて、CDで再生したネイティブの声を聞きとって空欄を埋めることになっていた。

 

 試験用紙に

 (1) Mike wants to (   ) a radio.

と書かれていて、CDからは

 まいくうぉんつとぅばいあれいでぃおう

と音声が流れてくる。それを聞いて空欄に「buy」を書き込む、という形式である。

 

 わたしはこれがとても苦手だった。聞き取ろう、聞き取ろう、と緊張すればするほど、なぜか耳が塞がってしまうようなかんじになって、正答がわからなくなった。

 音声の再生は2回繰り返されることもあった。1回目でわからず、ヤバイぞと思って2回目の再生で絶対聞き逃さないよう集中力を高めるのだけれど、やっぱりうまく理解できなくて絶望的な気持ちになる。そうなると、続く第二問、第三問も雪崩式にわからなくなる。

 

 中高六年間と大学受験で散々これに凹まされて、英語のリスニングにきわめて大きな苦手意識を持った。ちょっと大げさだけれど、植え付けられた、と言ってもいい。

 

 大人になって、英語圏の国へ行かせてもらう機会が何度かあった。そこで気づいたことは、文全体というか、発話の流れや文脈を把握しようとしたほうが、かえって単語が聞き取れてゆく、ということである。ひとつずつの単語に集中しようとすると、やっぱりわからなくなる。

 

 言語とか会話といったことは、そもそもそういうものだろうなぁ、と感じた。日本語での会話であっても、単語を聴きとっているというよりは、「聴き逃しながら、たまに引っかかって反芻している」と表現したほうが正確かもしれない。そして本当にある重要な語を聞き落としてしまったことに気づいたなら、「えっ ナンテ?」と聞き返すか、わかったふりをしてごまかすことができる。それが人間の耳の自然な仕組みであって、「穴埋め式」はこの仕組みからかけ離れた形式だったのではないかと思えてならない。そもそも、「穴埋め式」で会話することは人類には不可能だ。

 

 このことを彼女に話したら、自分もまさにそうだった、と言われた。

 

 彼女がTOEICの試験で編み出した秘儀を教えてもらった。それは、リスニング中に鉛筆を持っていない方の手で消しゴムを握りしめるのだという。要するに、身体の集中を分散させて、空欄に過度に集中しないようにするのだろう。たいへん理に適った方法だと思う。