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いま読んでいる本から: 金時鐘『朝鮮と日本に生きる』

たしかに不器用な私ではありましたが、選り好みだけはしない私でした。何事につけ人一倍好奇心が働くのです。薬売りが客寄せに奇術を見せびらかしています。もう少しで卵が孵えるという口上を信じて、日がな一日ひよこが孵えるのを待ちとおした市の日がありました。しかも一度や二度でなく、三度や四度も。客を集めては卵をネルの袋に入れ、待っている間に効能の説明をし薬を売り、客が散じるとまたた初めから目の前で卵が孵えると客を集め、いつになったら見られるのかとまたたしかめに市に行きます。それでも私の好奇心は疑うことを知りませんでした。あのひよこはさぞ、袋の中できゅうくつだろうなぁとずっと思っていたものでした。(38頁)

 

 卵はいつ孵化するんだろう、ひよこは袋のなかでどうしているんだろうという好奇心。やさしい。

 

 小学校で朝鮮語をうっかり使うと教師にひたすら殴られる(後には児童同士で殴りあう)という皇民化教育が本の序盤で紹介されている。

 いわゆる「トラウマ」をめぐる議論では、つねに「トラウマ」「暴力」「ことば」が三つセットにされるのだけれど、この場面ではその三角形があまりに単純に実現?されていて、どうしようもない気分になる。何の工夫もなく、ただ殴るだけなのだ。殴って、土地と祖先のことばを奪い、宗主国の国語を移植する。殴る。ただ殴る。知性は要らない。

 

 けれども、著者にとっては、そうして覚えた日本語が自分の知的な第一言語になり、その後もずっとそうだった。