しずかなアンテナ

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『逆襲のシャア』注解(1)解釈の目的と方針

 以下は、富野由悠季原作・脚本・監督によるアニメーション映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の注解である。分量が膨らむことが予想されるため、回を分けて書いてゆくことにする。

 

作品の概要と解釈の必要性

 『逆襲のシャア』は『機動戦士ガンダム』シリーズの決着となる作品である。シリーズの起点である『機動戦士ガンダム』が1979年にテレビ放映され、続編『機動戦士Zガンダム』が1985年、続々編『機動戦士ガンダムZZ』が1986年にそれぞれ放映された。これらのテレビ作品のストーリーの解説はここでは行わない。『逆襲のシャア』は1988年に劇場公開された映画作品である。

 1988年前後、他にどのようなアニメーション作品が公開されていたか。宮﨑駿による『天空の城ラピュタ』は1986年、『となりのトトロ』が1988年公開である。押井守による『機動警察パトレイバーthe Movie』が1989年。ガイナックスによる『王立宇宙軍オネアミスの翼』が1987年、OVAシリーズ『トップをねらえ!』が1988年。

 これらの作品と同じく、『逆襲のシャア』は公開後30年近くが経った現在でも鑑賞に耐える作品である。本作品が古いか新しいかはもはや問題ではなく、つねに新たなものとして鑑賞と解釈を反復しなければならない。つまり本作品は古典である。しかしながら、本作品はこれまで一つの作品として評価され、十分鑑賞され、慎重に解釈されるということが無かったように思われる。というのも、多くのファンが本作品を繰り返し鑑賞し、感想を述べ、ときに分析のような物言いを加えるけれども、それらはたいてい「ガンダム」シリーズの総決算として本作品を位置づけており、作品を作品そのものとして読み込むことが少ない。もちろん、そのような位置づけ方もひとつの正当な方法であるけれども、この場合しばしばテレビシリーズのストーリーの延長線上に本作品を捉えることになり、その結果アムロとシャアの成長と最終決戦という点に理解の視点が狭められてしまう弊がある。この位置づけ方は『逆襲のシャア』を深く理解するよりも、ガンダムシリーズ宇宙世紀シリーズ)全体を理解するという姿勢であり、この姿勢は次第に「富野理解」にのめり込んでゆく。しかしそうした全体的な理解が仮に達成されたとしても、それだけで『逆襲のシャア』という個別作品を徹底的に理解したことにはならない。そしてまた、『逆襲のシャア』という部分を徹底的に理解することで、初めてガンダムシリーズおよび富野由悠季の「全体」を理解する経路が開かれてくる。

 

解釈の方針と方法

 解釈にあたっては、映像作品のみを出典とする。作品の内部から作品そのものを理解するのであって、作品の外部にある知識―たとえば、本作品のMSデザインを担当した出渕裕は『機動戦士ガンダム0080』のメカニカルデザインも担当している―を持ちだして作品に解説を加えるのではない。こうした「解説」はしばしばマニアの語りに堕してしまうし、映像を見ながらぺらぺら喋る分には役立つけれど、それによって作品の内容が本当に深く理解されるかは疑問である。

 この方針に従って、本作品の小説版である『ハイ・ストリーマー』および『ベルトーチカ・チルドレン』も参照しない。これらの小説作品を参照すれば劇場版『逆襲のシャア』を様々な角度から再分析・相対化できる。けれど、それはけっきょく、劇場版と小説版を比較することによって「”逆襲のシャア”のオリジナルのかたち」や「富野由悠季の真意」を別立てにして想定することになる。しかしここでも上述の全体と部分という解釈学的循環の問題が生じる。つまり、小説版と比較校合したうえで編み出した「オリジナルのかたち」を仮に把握したとして、そこから劇場版の本作品そのものを再び深く理解することができるのであろうか。もし小説版と比較するにしても、まず劇場版そのものの個別的な理解を達成してからでなければ、幻から幻を生むことにしかならない。

 解釈の作業は、各シーンのセリフ及び映像表現の個別的検討と意味の確認を基本とする。以下の作業において、私たちはあたかも本作品を初めて見たかのようにして、しかし作品の時間の流れに没入することなく、細かく区切りながら、映像を鑑賞する。

 しかし、その方法では、映像作品の特権である時間の流れへの没入があらかじめ鑑賞から除去されてしまうのではなかろうか。1時間ぶっ続けて作品にのめり込むことで得られる興奮や感動を抑制してしまうのではなかろうか。映像という一つの生きた連続体を、ばらばらの死体片に分解してしまう所業ではなかろうか。こうした批判は正当なものとして受け入れなくてはならない。しかし、本作品は「劇場版」であるけれど、実際のところ私たちは本作品をDVD、VHS、もしくはストリーミング動画として鑑賞する。そのため反復が可能であって、寸断された鑑賞を通じて検討を深めたのち、再び最初から最後まで止めずに映像を堪能することができる。

 劇場版であるなら、DVDでの鑑賞もまた邪道であって、実際に劇場で観る『逆襲のシャア』だけが真の『逆襲のシャア』であるという原理主義的な意見もあるかもしれない。しかしこれは、本物のイエス・キリストに会えないのなら聖書をいくら読んでもムダだと言うのに近い暴論である。実際、『イデオン』『1stガンダム』『逆襲のシャア』は4つのサンライズ福音書の内の共観福音書であって、「反復」こそがわたしたちに許された真性な態度なのである。