しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

セミオートマチック食卓(1歳半視点)

 1歳半の甥がいる。かれの食事風景を見ていると、子どもはたいへんやなとおもう。母親もたいへんだが。わたしはへらへらと見ている。

 

 甥は食卓の皿にあれこれと手を伸ばす。基本的に欲しいものがそこにあるようなのだけれど、甥の眼の高さからは、皿の中身がよく見えないことが多いらしい。手を皿に伸ばす、周囲の大人がかれの意図を汲んでやって、その皿を目の前に引き寄せてやる、いや思ってたのと違った、べつのお皿、という繰り返しになる。

 あれこれやっているうち、「大皿のおかずを、大人の使っていたスプーンを用いて、自分の小皿に移し、じぶんのスプーンでそれを食べる」…というのがかれの当初の意図であったことが判明する(しかし、やってみるとすぐ飽きる)。こういう試行を反復するので、一回の昼食が大事業である。

 

 子どもの視点からすると、何が起きているのだろう。手を伸ばすと天から別の腕が伸びてきて、欲しいものを近寄せてくれる。たいそう便利である。しかしまた、別のお皿を自分の手で引き寄せようとすると、「あーこれはだめだめ(笑)」とか言われて、また天から腕が伸びてきて、そのお皿は遠くへ持ち去られる。まったく理由も告げられない。なんたる理不尽。

 

 こういうのを、実家に帰るたび、へらへらと見ている。