しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

現実とはなにか

 現実とはなにか、ということが、よくわからない。

 

 このことを考え始めたのは、「リアル」という表現が、もっぱら映画やゲームのCGなどに使われているなーと気づいたことによる。

 ふつう、現実とは、リアルなものごとであると信じられている。けれども、実際に「これはリアルだなぁ」とわたしたちが言うとき、その「これ」はしばしば映像作品であったり、フュギュアであったりする。「リアル」とは、現実を模したものが現実に近いことをいう形容である。

 

 これはある意味で当然のことで、模造品や転写物やCGでない、この現実そのものをわざわざ「リアル」と名指す必要はない。それはむしろ「リアルさ」の基準であるのだから。しかしまた、この現実そのもののリアルさを名指すためのことばが、意外と見つからないような気がする。「リアル」ということばが模造品やCGの方に奪われてしまって、オリジナルであるはずのこの現実がいったいどのようにリアルであるのか、うまく言い表せない。

 

 別の言い方をすると、この現実のリアルさとは、模造品やCGが目標としていることで成立しているリアルさである。ゲームや映画のCGに真似してもらうことで初めて、この現実世界が、「模造品ではないもの」という地位を獲得している。裏返していえば、そうした転写物無しに、「リアルな現実世界」が独力で成立しているという状況がもう無い。