しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

時間が飛ぶ

いろいろあって、働き始めている。

職場では会議やいろんな新しいお仕事や研究計画やらがわーっと降りてくる。メールと名刺がゆきかう。そして時間がまたたくまにすぎてゆく。ほんとうに、何度かまぶたをまたたいている間に、というかんじ。

 

朝8時すぎに駅のホームに立っている。そして気がつくと、19時半とか20時前ころに同じ駅のホームに立っている。時間がジャンプしているような感覚に襲われる。

「迷惑な空襲」/『この世界の片隅に』を見ながら

 おばあちゃんに一度だけ空襲のことを聞いたことがある。聞いたといってもそう詳しい話をされたのではなく、いったいなぜその話題になったのかもよく覚えていないのだけれど、「火なんかすごい熱くて、ガラスも溶けてね」と言った。そして「もうあんな迷惑なことしたらあかん」と決断するように短く言って終わった。実際、物語というよりは3文くらいで終わった。

 この「あんな迷惑なこと」という表現を聞いたとき、いくらなんでもそりゃないだろう、とわたしは思った。あまりに他人事というか、無責任というか、ゴミ出しのマナーの話じゃあるまいし。そして近代国家の公民としての戦争責任というものも、1ミリの千分の一くらいは引き受けていいのではないかとおもった。おばあちゃんにそれを押し付けるのは酷だけれど、「迷惑なこと」というのはあんまりだと。もちろんおばあちゃんが生きていた当時、彼女の政治的主体といったものは無いにひとしい。選挙権もなければ、意思を表明する自由もない。けれどそれでも、わずかな責任のかけらみたいなもの、空襲体験と大文字の歴史の間に「国民」としての自分を位置づけるような表現があってもいいのではないかとおもった。「迷惑なこと」というのは、その位置のまったく対極にある言い方だ、と。

 

 そう思っていたのだけれど、アマプラで『この世界の片隅に』を見ていたとき、この「迷惑なこと」という表現が、なぜかしっくりと腑に落ち直した。とくに空襲警報が何度もかかって、はるみちゃんが防空壕のなかで「もう空襲警報飽きたぁ」と言ったらへんで、すっと、うちのおばあちゃんは確かにそう思ったんだな、思っているんだな、ということがわかった気がした。上の段落で書いた「主体」や「歴史」や「国家」といったワードとは全く別の視界があった。

 おばあちゃんは『この世界の〜』のすずさんのような感受性は持っていない。また、すずさんが「迷惑なこと」という実感を持っていたということでもない。ただ、あの世界のなかの登場人物の一人に、そういう感想を持つひとがいても全く不思議はないなとおもえた。不思議な作品だ。

 

 それにしても、「もうあんな迷惑なことしたらあかん」というのはきわめて不思議な表現である。「したらあかん」の「する」主体は誰なのだろう。焼夷弾を落としたアメリカに向けて言っているのか、開戦した大日本帝国に向けて言っているのか。自分を含めた、近代国家の国民としての同世代の人びとに政治的に呼びかけているのか、無差別爆撃という手段を非難しているのか。おばあちゃんはそこらへんをほとんど分節していないし、できない。世界や歴史がなんらかのメカニズムによって駆動し積み重なってゆくという見方をせずに、もっともっちゃりした視界で世界を見ている。岡山の田舎の旧家の農家でそれなりに良い暮らしをしていたら戦中に縁談が来て、家から駅までゆくタクシー用の木炭を役所から特配してもらい、岡山駅から神戸駅まで白無垢で汽車に乗って突然都会の旅館の嫁になってしまった。おばあちゃんにとって、夫となったひとは東京の学校に行っていたたいそう賢いひとであるが、自分自身は「学」はない。もにゃーっとした世界を見上げている。するとそこに焼夷弾が落ちてくるし、夫は根こそぎ動員で満州に送られるしで、そりゃたしかに迷惑なことである。「もうあんな迷惑なことしたらあかん」という断言は、彼女がそうして生きながら最終的に得た結論である。ポリティカル・コレクトネスには欠けているかもしれないが、生きた視界から剥がれていない。

記憶の丸み: 西川祐子『古都の占領』(2017)

 以前お世話になっていた先生に今の自分の研究(災害の記憶に関すること)を話したとき紹介された本を読み始めている。  

古都の占領: 生活史からみる京都 1945‐1952

古都の占領: 生活史からみる京都 1945‐1952

 

 

 進駐軍による京都市の占領を、副題にあるように個々人の「生活史」から描きなおしてゆく研究。

 読んでいてとても不思議で印象的なことは、史料から析出される占領軍の動向や、当時を知るひとびとのオーラル・ヒストリーによる記述の合間に、終戦時小学生だった著者自身の記憶が入り混じってゆくこと。

 

 占領期の京都のまちなかでは、〔進駐軍兵士の家族宿舎が設置された〕植物園内で働き、ときには軍用ジープで送られて帰宅する女性があるとよくない噂がたった。ついこのあいだの敵軍に立ち混じって働くのかという非難のまなざしと同時に、植物園内の豊かな生活や豊富な物資にたいする羨望の視線があった。わたし以外の家族は疎開先での生活がつづき、占領の末期になるまで京都に戻らなかった。その間、祖父母の高齢者家庭に貴重品であった食物や布などを少しずつ届けてくれたのは、母親のかつての同級生たち、なかでも、自分で働くことによって生きてゆかねばならない女性たちであった。そのなかには植物園でタイピストとして働く女性がいた。(76頁)

 

 この本は著者自身の記憶を書くためのものではない。記述の中心はあくまで膨大な史料と個人の小さな生活史にある。けれども、その記述に誘い出されるようにして、著者の思い出が文章のあちこちに埋め込まれてゆく。

 不思議で素晴らしいことは、史料や他者の生活史による記述と、著者自身の思い出による記述との間が、とてもなめらかに、なだらかに続いてゆくことだ。歴史の研究書のなかに著者の個人的な記憶が挟み込まれることは実は珍しくない。ただ、多くの例では、著者の記憶が書き込まれるとき、奇妙な力みというか、他の記述との裂け目のようなものが文章のなかに現れる。「卑近な例で恐縮だが実は筆者も…」とか、「個人的な回想を差し挟むことは歴史研究としての節度を破ることになりかねないかと恐れるのであるが…」といった留保の表現がわざわざ付け加えられる。もちろんそれは(その著者の)研究の方法論にとって重要なことではあるけれど、読んでいて凸凹したかんじを受ける。

 この本はそれと正反対だ。史料と生活史の引用の合間にいつのまにか著者の短い回想が混じり、すっと静かに退いて、また史料の引用にもどる。力みがなく、語りすぎることもなく、抑制を強調することもない。なだらか。

 (外傷的なものをここでは除くとして、)記憶とはそもそもそういうものではないかとおもう。他人の記録や語りを聞いているうちに、おのずから自分自身の記憶がよみがえらされ、他人の語りに重ね合わされる。そこには視覚や聴覚の分節が持つような「切れ目」があまりなく、なめらかさや曖昧さが伴いつつ、自身と他人の記憶の違いと共同性が感じ取られている。

 

支援と「別世界感」(『セックスワーク・スタディーズ』)

 

セックスワーク・スタディーズ

セックスワーク・スタディーズ

 

 

 指導教員が勧めていたので読んでみた。あ、これは読んでおいてよかったなと思った。同じテーマにくくることはできないけれど、上間陽子さんの『裸足で逃げる』、伊藤詩織『ブラックボックス』と合わせてわたしの「古典」3作品になった。

 

それでは、次に支援者の想定からこぼれてしまいがちなセックスワーカーの例として、トランス男性のセックスワークについて見ていきます。トランス男性のセックスワークには店舗型のものもありますが、それとは別に個人で客を探す「売り専ボード」というものがあり、「売り専・FTM・ウリ」等で検索するとひっかかります。掲示板の中を見ると、例えばこんな投稿があります。

 

「都内でサポしていただける方募集してます。都内でホ別0.8、ゴム付でしたら挿し大丈夫です。未ホル/未オペ/見た目は中性的だと思います。プロフィールと場所を明記の上メールしていただけると助かります。よろしくお願いします。」

 

 この投稿の意味が分かるでしょうか? 答え合わせは後に回すとして、コミュニティの言葉を覚えるのはとても大事なことです。例えば電話相談で、ワーカーが「ホテヘルで働いていて…」という話をした時に、相談員が「ホテヘルって何?」と言ったとします。その時、相談した人が思うのは、この人、そういう業界のことを知らないで今まで生きてこれたんだな」という別世界感です。そうやって、夜の仕事や風俗に近寄るような人生ではなかった人が話を聴いているんだな、ということを相談者は敏感に感じ取ります。

 (SWASH編『セックスワークスタディーズ』日本評論社、2018年、51-2頁)

 

「別世界感」という言葉はこの文脈だけでなく、いろいろな場面で使えるだろうとおもう。

自分の経験では、悪い「別世界感」と、さらに悪い「別世界感」と、良い方向の「別世界感」の3種類がある。〈悪い〉パターンは、ここに挙げられているような、自分が相手の世界を知らないことで相手に与えてしまうもの。言葉のズレが亀裂となって、引き裂かれてゆく。

〈さらに悪い〉パターンは、本当は違う世界に住んでいるのに、あたかも同じ世界にいるかのように振る舞うときに相手が感じる別世界感。

〈良い方向〉のパターンの別世界感があるとすれば、自分が住む世界が相手と違うことを自分自身に確かめさせたうえで、相手の世界と言葉を知ろうとするときに双方向に生じるもの。

 

 

無かったことにはならぬであろうか。全てのことが霧消し、元通りにならないだろうか。図書館の古い本棚の裏の壁を手で探っていると錆びついた取っ手にゆきあたり、それをゆっくり回すと異次元の歯車が逆回転しはじめ、時間がすべて巻き戻り、その間に起きたすべての努力と破壊と悲痛と希望と洞察が消失する、ということにはならないだろうか。そこでは原子力発電所は相変わらずあやふやに稼働し続け、人間社会と地域のさまざまな矛盾がまんべんなく先送りされている。そして全ていつもどおりの10日、11日、12日が過ぎてゆく。そのように、すべて無かったことにならぬであろうか。

 

 

石榴を食べる

おばあちゃんに会いに行った。虫眼鏡を盗られた、ハンコを盗られた、としきりに訴える。盗られないように大事に隠すのだという。しかし隠したことを忘れてしまう。見つからない。おじいちゃんが使っていた大事な虫眼鏡なのに。なぜ無いんだろう。あんな大きなものが消えるはずはない。誰かが盗ったに違いない。そういえば同じ階のxxさんはこないだ挨拶したとき返事がなかった。なにか自分に恨みを抱いているのかもしれない。彼女が盗んだのだろう。虫眼鏡が無いから新聞の字がわからない。昔はテレビで言っていることで分からないことは全部おじいちゃんが教えてくれた。東京の大学に行った賢いひとだったから。

 

 わたしは、そのおじいちゃんが撮った写真のアルバムを見つけたのでおばあちゃんに見せに行ったのだった。一番古い写真は昭和40年。旅館の前の道路を掘り返して地下鉄が敷設されている写真。あのころは必死にはたらいとったから気づかへんかったわ。三越がのうなったんはさびしかったなあ。三越に毎日散歩にいっとったで。店員さんとも仲良うなってな。奥さんこんなんありますよぉ言われて、ああええもんあるなあお金貯めて買おうかなあ思たりな。そういや奥の方に喫茶店あったね、と母が継ぎ足す。この旅館の建て替えに使った石は大谷石いうてええ石で、おじいちゃんの麻雀の友達の市の部長さんが建築屋さんを紹介してくれてな。あの建築屋さんクリスチャンやったよ。紅葉の木もらってきて、石榴も植えて大きなったなあ。


その石榴の実はわたしも食べたことがある。思い出した。昨日隠した虫眼鏡のことは忘れてしまうのに、半世紀前の旅館の石材のことは昨日のように思い出す。不思議なことだ。そのあとおばあちゃんをお寿司に連れていってあげた。そのことも忘れてしまうだろうか。わたしはしばらく覚えておこう。

引っ越す

引っ越すことになった。というか、いま引っ越しの最中である。

溜め込んだ本や資料を詰めるとそれだけで20箱近くになり、これはトラックに積みきれませんということで後日別便を用いることになった。この5年、震災関係の本であればマケプレで片っ端から安く買い集めていたのが仇になった。本自体は安くても輸送費用で逆襲されたわけで、イソップ寓話のような話である。

引越しのトラックが来て積み込みが始まったが、業者のお兄さんに先に転居先に向かった方が良いと言われる。積み込み完了を見届けてから出発するものだと思っていたが、それだとトラックの方が先に着く可能性が高いとの由。グーグルマップで見てみよと言われてその場で確かめてみると、たしかに電車では1時間、トラックでは44分とある。そうなるとなるほどトラックは15分以上無駄に停車することになり、これは繁忙期の業者にとってゆゆしき事態であるかもしれない。それならば従うほかあるまいと思って鍵を預けて先発していま阪急神戸線に乗っているけれど、どうもお人好しなことであったような気がしてきた。

自分の引越しなのに自分以外のものにあれこれ指図左右されている。そもそもこの引越し自体も博士課程の退院といくつかの偶然によって自分の意思からやや離れて自動的に決まったところがある。大学に入院したのは自分の意志だったけれど、いま振り返るとわけのわからない運命のようなものに指図されていたような気がする。とくに二度の震災がこの運命を勝手に規定してきた。そして5年で4回引っ越している*1。その日その時間においては自由意志というものに依拠しているようでいて、長期の観点においては案外それ以外のものに従って生きている。そして引越し業者ばかり儲けさせている。いま西宮北口を過ぎました。

*1:これは勘違いで、5年で3回、9年で4回だった