しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

読書の声のスピード感

本を読んでいるとき、頭の中で「音声」を再生するように読むのか、それともそうした音声抜きに読むのかという違いがある。これは個人差があるらしい。

わたしの場合は、読書体験の8割ほどは前者の「音声」型だが、読んでいるうちにいつのまにか音声が抜けているときがある。

 

ところで最近気づいたことなのだけれど、その頭の中の音声の再生にも、本や著者によって、速度というか、テンポの違いがある。そしてテンポは声のトーンに直結している。

 

具体的には、熊野純彦さんの翻訳のベルクソンは、頭のなかでどんどん早口になってゆく。頭の中の声のトーンも甲高くなってゆく。翻訳文が読みやすいことが原因であろうかと思ったが、同じように読みやすいアウグスティヌスの『三位一体』は、声のトーンというか、喉の「かんじ」が自分にとてもしっくり来る。中井久夫さんの書くものを読むときも、スピードと喉のかんじが自分のからだからほぼ離れない。

なので、3人とも直接会ったことや声を聞いたことはないのだけれど、なんとなく、ベルクソンは声が少し高いひとで、アウグスティヌス中井久夫は自分と同じような喉のかんじなのだろうと勝手に考えている。勝手すぎる。(外国語の文献については、原語で読むとまた印象が違うだろうけれど)

 

奇妙なのは鷲田清一で、蝶の詰まった潜水艦が高い空をぽーっと飛んでいるのを眺めているかんじがする。ボルヘスはわたしが頭の中で声を出すよりも意識してゆっくり喋ってくれる。九鬼周造はすこし高い音で話すが、さほど速くはない。

 

 

「ポスト震災○○年」が不可視化するもの(稲津秀樹「被災地はどこへ消えたのか? 「ポスト震災20年における震災映画の想像力」2017年)

稲津秀樹「被災地はどこへ消えたのか? 「ポスト震災20年における震災映画の想像力」『新社会学研究』2, 2017, 46-56.

 

つまり、「ポスト震災○○年」という言葉でもって震災の時空間が方向付けられる限り、私たちの想像力に1995年1月17日に現出した被災地のリアリティから常に遠ざけられていく感覚がもたらされるのは否めない。それは、私たちが「震災○○年」を迎える度に思い出される震災像に繋留されることすら許されず、常にそれ以降(「ポスト」)へと向かう時空間に生きることを強いられる意味においてである。このように、「ポスト震災20年」という公的な問題認識それ自体に、「復興」過程を通じて不可視化された被災地の時空間を想像することの困難を指摘できるだろう。(47頁) 

 

『男は辛いよ』シリーズ最終作、『寅次郎紅の花』(1995年)における、映像作品中の被災地・被災者の描き方。同作は元の脚本が急遽書き換えられ、「寅さん」が被災地・神戸長田を作品冒頭と終盤に訪れることになる。重要なのは映画の終盤、在日コリアンの若者たちが「マダンの踊り」を踊るシーンでしめくくられていること。このシーンは改訂された脚本にもなく、撮影隊と現場との関わりにおいて実現した。このシーンは、一様な「被災者」のすがたを、多様な文化的・民族的背景を持つ人々へ再構成してゆく。「「被災地」に立ち現れた風景をもってして「被災者」の認識を多様化させる記憶へと開かれていく場面」(53頁)である。

「見たくない現実を暴く力」(本当に見たくないものは暴かないでおく力)を専有しているのは男性である

 

全体を通じて、なんだか決定的にズレているなぁとおもう。

では今回の広告が、示そうとした「向き合わなければならないもの」とはなにか。それは、「絆・連帯というもののは時に抑圧的に働くことがある」という事実です。

 

これは、間違っているとおもう。

問題は次のことにある。「向き合わなければならないもの」を選び、直視させ、整形し、表現し、マスに配信し、受け取り手(女性)の態度や思考やふるまいを規定するのが、もっぱら男性であるということである。端的に言えば、「女子向け」の広告を男性が作ること自体が、より大きな権力性のなかで行われている。

女性にも男性にも、(あるいは「老人」「若者」「日本人」などのカテゴリであれ個人であれ)向き合わなければならない現実は無数にある。「絆・連帯」が抑圧的に働きうるというのも確かにそのひとつである。

しかし、そうした無数の現実のなかから、なぜか「女子」の振る舞いだけが取り出され、直視を強いられる(「おんな」や「女性」ではなく)。その選択の権力は男性が専有している。直視すべき現実は何であるかを一方的に決め、女性をそれに従わせるのが男性的な権力の使用法である。それは裏返せば、「直視されるべきではない現実」をも選び、暴かないでおくことができるということである。直視されるべきではない現実のなかで最大のものは、それを男性が決めているという構造そのものである。

だから、「本当に向き合わなければならないのは、こうした事実なのですよ」と物分りの悪い女子に親切に言ってあげるという立場に即座に自分を置くことができるということ自体が、男性的な振る舞いにほかならない。違う、本当に向き合わなければならないのは、単純に、自分が男性であるということそれ自体なのだ。

 

身も蓋もない言い方をすれば、この広告は男性が男性向けに作ったものなのだ。「女子ってこうだよね、仲良くしてるように見せかけて裏ではギスギスしてるよね」という言説のなかに女性を押し込めて利益を得るのは男性である。そこに押し込まれたくないというひとが広告に反発している。それだけのことだ。

分別と「つく」

分別という言葉は日常語の体系の中に組み込まれていて、いろいろな意味を含んでいるのに、この言葉が日本の哲学や倫理学のなかで「実践理性」などの用語ほどには確かな位置を与えられていないことは残念なことだとおもう。

 

そこで「分別」について少しだけ考えてみたいのだけれど、そのひとつ前に、「つく」という言葉について少し書いてみることにする。「分別がつく」「分別がついてきた」と言う。この場合の「つく」はなんなのか。

 

一般に「つく」は「付着する」もしくは「付属する」の意味である。

「窓ガラスに鳥の糞がついている」と言うとき、相対的に大きな物体Aに、相対的に小さな物体Bが密着して動かずにおり、人間の手や他の外力を加えなければその状態が変わらないことを意味する。また、「ランチセットにはコーヒーがつきます」と言うときは後者の「付属する」の意味で、これは物体が空間・距離のうえで密接に固定されているのではなく、相対的に大きな意味をもつ何かA(ランチセット)に、相対的に小さな意味をもつオマケBが添えられるという意味である。この場合、コーヒーがなくてもランチセットは成立する。客が望めばコーヒーを紅茶やジュースに変えてもよいが、コーヒーを主としてランチのご飯や惣菜のほうを無くすことはできない。

第3に、「電車が目的地に着く」と言うときの「つく」がある。これは固定というニュアンスを多く帯びていた「付着」「付属」とは違い、主体の移動が基本にある。ただし目的地に主体が入る、到達する、その領域に接触するという意味あいは、上記2つと近い。

ところで「分別がつく」と言うときの「つく」は、これら「付着する」「付属する」の意味ではないようにおもわれる。そこで第4の「つく」がある。「見分けがつく」「見当がつく」はこれに入る。このときの「つく」はrecognitionが成立するという意味であるとおもう。

ここからはわたしのごく個人的な語感を述べてゆくにすぎないのだけれど、この認知や認識の意味の「つく」は、じぶんの指先が他人や自分の鼻や耳やほほに触れたときに、それが鼻であると瞬時に「わかる」という感覚に近い。つまり遅疑逡巡や精密な反省検討を加えたあとに徐々に判明してくるという「理解」や「解釈」ではなく、より直観的な認知のはたらきである。わたしたちの指先は感覚器官が密集しているらしく、とくに肌や顔のおもてに触れた瞬間、そこが鼻やくちびるや肩であるということが即座に「わかる」。おそらく脳で十分に信号を読み解いているのではなく、指先の感覚器官の時点で相当な処理を済ませており、脳による意味付けはそこに後から追いついてくるのだろう。考えるより先に、触れている・触れられている・これは鼻であるという認知が、接触の界面において発生している。

この能力は、おそらく、わたしたちの遠い祖先が仲間内でひたすら毛づくろいを繰り返すことで徐々に身につけられたのだろう。この接触即理解の直観はわたしたちの日常生活を強く規定していて、たとえば混んだ電車内や駅で他人の身体が自分に接触したとき、相手のどの部位が自分のどの部位にあたったのか、それが悪意のあるものなのか偶然のことなのか、さらには偶然であったとして相手がガサツな挙動をする人物なのか、むしろ自分の動作に原因があるのか、といったことを瞬時に把握するのである。ときに相手の不安や苛立ちさえわかってしまう。もちろん純粋な接触感覚のみが独立してこうした直観を与えているのではなく、視覚や聴覚の情報もそこに編み込まれている。

 

「見当がつく」「見分けがつく」と言うときの「つく」は、このタイプの、指先が相手の顔に触れた瞬間に生じる電撃的・直観的な認知である。「目鼻がつく」とさえ言う。デカルトのように対象を各部分に分割して個別に十分吟味しつつ理解を順次総合して完成させるのではなく、全体の様相から一挙に対象の本質をつかみとるというはたらきである。このはたらきは「私」が動作の起点となって順次行うものではなく、むしろうっかり触れてしまったときに私に先んじて既に生じているので、自動詞になり、「私」という主語を含まない。ただし「つく」はたらきを再度みずから意識して行うようなときには、たとえば「デッサンのアタリをつける」という言い方をすることもある。

 

さて、では「分別がつく」と言うときの「つく」は何なのだろうか。

分別は成長に従って徐々に身につけられてゆく。若いころは「分別が無い」。だから飲み会で一気飲みをさせたり、オウム真理教に入信したり、意味がほとんど無いような言い合いにエネルギーをつぎこんだりする。ところが年齢を重ねるにつれて、相応の「分別がついてくる」。この意味合いで考えると、「分別がつく」と言うときの「つく」は、「英会話能力が身につく」というときの「つく」に近いように思われる。つまりランチセットにコーヒーがつくときのように、まずわたしという本質が先にあり、次いで偶然の能力としての「分別」がそこに従属するという構図である。

しかし分別は道徳的な判断能力であると同時に、そのときどきに具体的に対象を獲得して成立する判断作用でもある。つまり、具体的な個々の場面に遭遇したとき、自分が何をすればよいか*1をその場その場で判断することに「分別」がある。この点で、「見当がつく」「見分けがつく」と同様に、対象の本質を瞬時に(皮膚的接触に近いレベルで)判別することであり、つまり分別は対象を必要とする。

しかしまた、分別は「わたし自身」の起居動作・生活を規定する。局外中立の立場から善悪を判定するのではなく、分別をつけることが、わたし自身のあり方をかたちづくる。だから「分別がつく」と言うときの「つく」の対象は、道徳的判断の場面や事例であると同時に、その判断を行う主体でもある。指先が相手の鼻に触れるとき、指先は相手の鼻だけでなく指先そのものを知る。これと同じことが道徳的判断で生じることが「分別」であり、判断される事例に対する直観が生じると同時に、直観により規定される主体が反作用的に(というか界面的に)生じる。以上のように考えてみることはできないか。

 

 

*1:分別の場合は「何をしないか」により重点があるような気がするが、ここでは考えない

回復と下山(中井久夫『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年)

急性期から回復していくのを、私は山から下りるのにたとえたことがあります。回復は山から下りるときの感じですね。私もちょっと山登りをしていたことがありますけれども、回復の一つの特徴は目標がはっきりしないことです。発病のときに目標があるかというと、患者さん自身は頭の中で「この苦しいところを突破したら、いままでの自分と非常に違うところに生まれ変わるんじゃないか」と考えておられることが、決して少なくありません。そう思いながら、トンネルの奥の奥のほうへ入っていくとか、山でいえば、嵐に遭ったときには裾野に逃げればいいんだけれども、かえって山頂のほうへ逃げてしまう人が患者さんであると考えていいかもしれません。

中井久夫『徴候・記憶・外傷』みすず書房、2004年、223頁)

「碑」の傷つきやすさ

震災の鎮魂碑、盗難か 六甲山頂付近建立
毎日新聞2019年1月31日 22時05分(最終更新 1月31日 22時11分)


 兵庫県勤労者山岳連盟(兵庫労山)は31日、神戸市東灘区の六甲山頂付近に建てた阪神東日本大震災犠牲者の鎮魂碑がなくなったと発表した。碑は過去にも被害に遭っており、兵庫労山は警察への被害届を検討する。

 碑は東北3県と兵庫の労山などが2016年3月に建立。一辺9センチ、高さ1・3メートルの木製四角柱で「復興祈願」などと白字で記した。16年夏にストックのようなもので傷つけられ、17年5月には真っ黒に塗られた。18年7月に近くで再設置した。

 兵庫労山によると昨年12月、会員が無事を確認。30日に登山者がないのに気づき、31日に兵庫労山が被害を確認した。吉谷隆男理事長(63)は「3回目の被害で、非常に残念だ」と話した。【望月靖祥】

 

「碑」は傷つきやすい。

この鎮魂碑は木製だが、一般に石や鉄などの「硬い」素材で作られる。それは碑が永遠にその場所に立ち続けることを、碑を立てる人間が願うからである。さらには碑が指し示す事件(災厄や立派な行為)が永遠に忘れられないことを願うからである。

しかしまた、碑はしばしば傷つけられる。風雨や人間の害意によって、倒されたり砕かれたりペンキを投げつけられたりする。上掲のニュースのような事件は実のところめずらしくない。

(多少の検索の結果:)

説明板修復始まる 2月損壊の復帰闘争碑 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

糸満市摩文仁の慰霊塔 突風で損壊か | ラジオ沖縄ハイサイポッド

原爆慰霊碑破損事件 - Wikipedia

阪神大震災モニュメントに落書き 鋭利な工具などで削られる 兵庫県警が捜査 - 産経WEST

風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件 - Wikipedia

 

 ここで、一つずつの事件の文脈や是非は論じない。ここでわたしが言いたいことは、単純に、碑は一般の住宅やビルよりもずっと傷つけられやすいということである。それは碑がつねに政治的意味を帯びているからである。反戦を訴える碑は国粋主義者の標的になり、国家の事業を称揚する碑は左派活動家の標的になる。また、共同体が尊重している碑や空間は、その共同体からあぶれた者の反感の転移対象となる。

 攻撃に対して碑はむしろ脆弱である。碑の素材が石や鋼鉄であっても、ハンマーや工具を使えば一部を壊すことはたやすい。碑はそもそも、家や橋のようにその物理的な構造や形状自体が直接に役割を果たすのではなく、そこに存在しないもの(過去の事件や死者の魂)を「指し示す」ものである。だから攻撃を成立させるためには物理的に徹底的に消し去る必要はなく、たとえば表面にペンキが投げつけられるだけでも、十分に「傷つけられた」とみなされる。碑は石や鉄で作られるけれど、実のところ人間の皮膚や顔のような「弱さ」がある。

 人間の意図的な攻撃だけでなく、風雨に対しても実は弱い。数年前に南三陸町に調査に行ったとき、神社の境内の隅に、おそらく明治三陸津波を伝えるものと思われる石碑があった。わたしがそうした碑文を読む技術や素養を持っていなかったためもあるけれど、碑の石材それ自体が年月の経過によって次第に摩耗し、苔がはりつき、刻まれた文字が十分判読できなくなっていた。このことは石以外の素材であっても本質的には変わらない。

 素材自体の「耐久期間」のほかに、碑を管理する共同体の関心の濃淡も影響する。兵庫県西宮市の震災慰霊碑が据えられている公園の奥にはかなり巨大な戦災記念碑?があるが、ほとんどの市民の関心はおそらく震災慰霊碑の方に向けられており、戦争の碑には視線がむすばれづらい。案内板も無い。

(以下のサイトによると、1955年に建てられたもの)

http://kyoiku.kyokyo-u.ac.jp/gakka/murakami/takami/hp%20nisinomiya/n%20ireihi.html

 

 突き詰めて言えば、碑の傷つきやすさの根本的な理由は、それが「おもて」に立ち続けなければならないことによる。碑はひとびとの視線と風雨にその物理的基体そのものを曝さねばならない。また、ほとんどの碑は建立された場所から容易に移動させることができない。これはたとえば位牌が火事のとき仏壇から取り出され避難させられるのと大きく異なる。

 

 わたしが考えてみたいのは、ひとびとは本当に碑を永遠に立ち続けるべきものとして構想しているのかどうか、ということである。たしかに碑を立てるとき、それが遠い未来まで損なわれることなく立ち続けることをひとびとは願う。ここでの「永遠」とは、1000万年や56億7千万年先というほどの長さではなくても、少なくとも歴史的感覚が及ぶ範囲ということが期待されているだろう。たとえば500年前、1000年前、2000年前の出来事をわたしたちは歴史学によって歴史意識の範囲に収めることができるので、仮に碑も同様の期間保持されたとすれば、それは実質的に「永遠」に近いとみなすことができるだろう。

 しかし他方で、実のところ石碑や鉄板の耐久期間はおおむね50年から100年ほどのオーダーであることをわたしたちは実感として知っている。墓石や、神社や寺院の石碑などからそれを学んでいる。それらをまじまじと観察したことはなくても、ある程度古くなるともはや刻まれた文字が判別できなくなることを知っている。

 だから、かなり粗雑な表現になってしまうけれど、ひとは石や鉄で記念碑を建てるとき、それが永遠に立ち続けるようにと心中で真摯に祈り、そのように声明しつつも、同時に心の別の部分では、100年後にはこの碑はほぼ朽ちているだろうとどこかで予測ないしは期待しているのではなかろうか。あるいは50年や100年くらいは保っていてほしいけれど、150年後や200年後には朽ちてしまってもまあしょうがないだろうな、といった感覚を持つことはないだろうか。

 これは矛盾とか不合理とかいうことではなく、ひとは「永遠」ということを、このように両面的に捉えざるをえないのではないか、ということである。真に永劫に語り継がれてほしいという思いと、日々の風雨のなかで少しずつ少しずつ欠けて苔むして土に戻ってほしいという思いが同居しているかもしれない。碑を建てるという行為は、この両面の思いのさしあたりの調停ではないか。

これから読む本

読んだ本の紹介ではなく、これから読む本のリストをつくってみる。

博論を書き込んでいる間、がくんと読書量が落ちた。そのこと自体はやむを得ないのだけれど、読まないまま書いていると、身体の中に貯蔵していた活字(?)の備蓄(?)をひたすら放出しているという状態になる。この「備蓄」機構は不思議なもので、書くためには読まなければならないのだけれど、読んだものをそのまま書くのではない。けれども書くためにはとにかく何かを読んでいなければならない。単語や字や短いフレーズが身体のなかに貯まってゆくと、それとは直接関係しないことが論文として書けるようになるらしい。関係のあるものだけを読もうとするとかえってうまくいかない。ある種の水位のようなもので、出てゆく分と入ってゆく分が同じである必要がある。ただ、博論を書いている間は、そうした関係の無いものを読む余裕が無かった。身体に備蓄していたことばをぎりぎり絞り出して書くことを続けざるをえなかった。そういうわけで、わたしはいま、痩せている。備蓄を再開しよう!

 

畑中章宏『天災と日本人 地震・洪水・噴火の民俗学ちくま新書、2017年

金井淑子倫理学フェミニズム ジェンダー・身体・他者をめぐるジレンマ』ナカニシヤ出版、2013年

東畑開人『居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく) 』医学書院、2019年

アニル・アナンサスワーミー『私はすでに死んでいる ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳』紀伊國屋書店、2018年

夏目漱石『坑夫』

R. J. Lifton, The Climate Swerve: Reflections on Mind, Hope, and Survival, Newpress, 2017.

西川祐子『古都の占領 生活史からみる京都 1945-1952』平凡社、2017年

R. W. Perry & E. L. Quarantelli, What is a Disaster? New Answers to Old Questions, Xliblis, 2005.

カトリーヌ・マラブー『新たなる傷つきし者 フロイトから神経学へ』河出書房新社、2016年

伊藤亜紗『どもる身体』医学書院、2018年

川本隆史ほか編『マイクロ・エシックス昭和堂、1993年

早川和男『居住福祉』岩波新書、1997年

ピーター・A・ラヴィーン『身体に閉じ込められたトラウマ ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア』星和書店、2016年

中井久夫『徴候 記憶 外傷』みすず書房、2004年

阿部安成『記憶のかたち コメモレイションの文化史』柏書房、1999年

渡名喜庸哲、森元庸介編『カタストロフからの哲学 ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって』以文社、2015年

もっと手元にあるかと思ったら意外と見つからなかった!本屋に行こう!

(変なテンション)