しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

「生活保護は家がある人のものだから帰れ」

 私が初めて野宿する人の生活保護の申請に同行して福祉事務所に行ったときのことを少しご紹介しましょう。その方Aさんも初めから生活保護を希望していたわけではありませんでした。60歳になり年金を受給できるようになるが、住所がないので困っていると相談してきたのでした。そこで私は住所がないのは家がないからだから、生活保護でアパートに入るほうがよいのではないかと勧めたのです。いろんな経緯があったのですが、Aさんはついに生活保護を申請する決意を固めました。私は、Aさんと一緒に福祉事務所に向かいました。窓口の若い職員に生活保護の申請に来たのだと告げると、少々さげずんだような目つきで相談申込書に必要事項を記入するように言いました。Aさんは氏名などを書いて「住所」のところでふと顔を上げ、どうしたものかと尋ねました。私はいま寝ている場所を書けばいいよと答え、Aさんはその場所を書き込みました。するとその職員は「これは何だ、生活保護は家がある人のものだから帰れ」とえらい剣幕で怒鳴ったのです。これには驚きました。日本国憲法が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を平等に保障しており、生活保護法が生活保護受給権を具体的権利として保障し、保護を申請する権利を認めているのに、「住居」もないほど生活に困窮しているがゆえに、生活保護を申請する資格すら認めないと福祉事務所の職員が言ったのです。(…)

 家がないから保護ができないという福祉事務所の理屈に対しては、行政不服審査請求を行い、それが間違っていることを認めさせました。

 

笹沼弘志「日本社会を蝕む貧困・改憲と家族」、『右派はなぜ家族に介入したがるのか 憲法24条と9条』大月書店、2018年、102-3頁。

つぶを見つめる

 わたしの母には不思議な「科学のセンス」が昔からあった。「科学のセンス」とは何であるか明確に答えることができないのだけれど、情理や倫理とは別の次元で世界をクリアに把握する感覚、とでも仮定義しておく。

 

 

 このセンスは家族のなかでおそらく母だけが強く持っていて、わたしはある程度それを受け継いだ。他の家族、父・妹・弟もべつに非科学的なひとではないのだけれど、母のものの見方とはすこし違う。父は世界を歴史の視点で理解するひとである。わたしは良い意味で、無理の無い範囲で、父の歴史学的センスと、母の科学のセンスの両方を受け取ったのだろう。そうしてわたしは(臨床)哲学にすすみ、弟は芸術にすすんだ。

 

 母の「科学のセンス」の本質を考えてみると、それは「小さなものを手元に引き寄せる」という在り方であるように思える。先日、彼女は孫に庭の鉢を見せ、そのひとつに生っているミニトマトをひとつぶひとつぶ採集して、孫の手のひらに乗せた。幼児はプチトマトを食卓で見て知っていたはずだったが、手のひらでじっと実を見ていた。そこで初めて何かを発見していた。かれはトマトや植物の何たるかを何も知らない。けれども、顔の近くに引き寄せて対象をじっと見るこの姿勢は現実の科学研究者とそっくり同じだった。かれがそのようにできたのは祖母が強いてそうしたからではない。そこには自然な「流れ」があった。すなわち、枝から実をちぎり取る、それを手のひらに乗せる、トマトであると言う、眼でよく見えるようにする、という一連の仕草である。かれはそこに自然と合流して、真似したのである。

 

 これと似たことがもっと以前にあった。わたしの妹が、つまりミニトマトの実をじっと見ていた幼児の母親がまだ小学校に入る前のころ、家の玄関先で母が育てていた多肉植物の米粒のような葉体を茎からすべてむしり取ってしまった。ぷちぷちちぎるのが面白かったのだろう。母は「あーあー」と笑って多肉植物の鉢を放置していた。そして後日、妹がちぎった葉体ひとつずつが再び小さな根を直接伸ばし始めていたのを母は発見した。ほっとったら生えてきとった、すごい、と言って子供たちにそれを見せた。微細なものによく気がつくひとである。

 

 ところで、このひとはそこから追加で何も言わないのである。つまり、ミニトマト多肉植物の葉について、「かわいいね」とか「きれいだね」とか「サボテンさんもがんばってるんだね」といったコメントを一切与えない。ここがおもしろいひとであると思う。強いて言うとすれば「すごいなあ」といった感想であるが、これは彼女自身の素直な驚きの発露であって、子供たちのために、教育のために何かを言うということが全く無いひとだった。じぶんが面白い、良いとおもうものを見つけてにこにこして、それを子供たちに見せて満足するだけである。

 

 以前、これと対照的な態度を取るひとに、京都市の植物園の温室で出くわしたのを思い出す。母と祖母らしきひとが小さな娘さんを連れてきているのだが、とくにこの祖母らしき女性が、温室の珍しい花を見つけるたびに、ほら○○ちゃん見て、キレイねえ、と言っていた。どの花を見ても「キレイねえ、ほらキレイねえ」だった。幼児の体と眼がうろつき周り、何かを発見するのを待たず、それをあらかじめ先回りして花を見つけてしまい、幼児の視野をそこに誘導して固定させ、「キレイ」という形容を当てはめ、それ以上なにも言わせない。そのような態度であるようにおもえた。この教育的コメントによって、その子の感性は「花=キレイ」でどんどん固定されてしまうのではないかと不安になった。それは一面では常識的な世界観を育てるのに役立つけれど、立ち止まって眼を近づけてじっと見て、何かにおどろき、次いで不思議なよろこびを覚えるという科学者の姿勢を育てるものではない。この科学者の姿勢は、詩人の姿勢でもあり、哲学者の姿勢でもある。

 

 思い出してみると以上のようなエピソードもあったので書きました。

声と傷: 朴璐美様のリテイク

 『∀ガンダム』のロラン役、『鋼の錬金術師』のエド役で有名な声優・朴璐美さんのロング・インタビューが非常に面白かったので紹介したい。

 いろいろなことが語られているが、いちばん心に残ったのが『鋼の錬金術師』の有名な「君みたいな勘の良いガキは嫌いだよ」の収録時のエピソード。

 元記事から引用するとほぼ全文コピペすることになるため要点を書いてみると、このシーンは前日のリハーサルから感情が乗ってしまい、収録時に「ぶあああっと涙腺が崩壊してしまって」。こんなに冷静さを失ってしまっては口パクも合わないだろうと思ったが、「そうしたら気持ち悪いくらいに、ぴっっったりエドと朴が合う」。それはエドに乗っ取られたような、身体をエドに貸しているような体験だった。

 

ところが「気持ち悪いくらい」にエドにシンクロした演技の収録が、音響監督にリテイクを命じられる。

 私も(すべてを出しきったことで)放心状態だったんですが、普通に三間さんからリテイクを要求されて。「……え? 今のシーン録り直し? 嘘でしょ、私もうこれ以上のものはできない!」って。それで、「もう絶対に(あれより良いものは)できないから、さっきのテイクが本番で使われるに違いない」と思いながらリテイクをしたんですね。〔中略〕

 それで1回目のリテイクを録ったら、「はい、これいただきます」って言われて。

〔聞き手〕えっ!?

 そう。さすがにブチギレて。もう半泣き状態になりながら、「どういうことですか! 全然意味がわかんないです!」って言ったら、(三間さんがアフレコブースに)入ってきて、「たしかに、さっき本番で録ったテイクは、エドとして最高のテイクでした。だけど、我々が作りたい作品は、『子どもたちに傷を残さないように、痛いことを教える作品』。あなたのさっきのお芝居では、傷がついてしまう。だから、さっきのテイクはいりません。こちらを使わせてもらいます」と。本当に「この野郎、殺してやる…」って思ったくらい、悔しくて悔しくてしょうがなかったんですけれど、またひとつ教えられたというか。

 演者は役のことを考えるのが仕事ですけれど、演出っていうのは、やっぱり画面の向こうの視聴者のことを考えるものなんだよな、っていうことを教えられた瞬間でしたね。そのときはもう3ヶ月ぐらい納得ができなくて、「顔も見たくない!」と思ったりもしましたけど。

 

 太字は引用者による。わたしがこのエピソードで重要だと思うのは2点。ひとつは演技と演出は違うということ。もうひとつは、「声」は、ときに、それだけで聞く者の心に直接ぶつかってくるということ。認識、知覚、理解という段階を踏んで徐々に受け取られるのではなく、そのひと(ここではエドであり朴璐美さんである)の有り様をまっすぐ届けてしまうこともある。

アメリカで中絶が違法・道徳的悪となった経緯

州によるが、現代アメリカでは人工妊娠中絶に強い制約が課されている。Pro-choice(女性による選択に賛成=中絶の権利に賛成)派と、Pro-life(胎児の生命を守ることに賛成=中絶に反対)派の論争はアメリカ社会を二分するものだというイメージがある。中絶論争は宗教観(とりわけキリスト教原理主義の)の争いでもあり、容易に解決しえない社会問題である。

 

しかし19世紀半ばまで、アメリカで人工妊娠中絶は違法ではなく、道徳的悪とはみなされていなかった。ということを昨日読んだので、少し紹介してみる。以下、コンラッド&シュナイダー(進藤雄三監訳)『逸脱と医療化』(ミネルバ書房、2003年)の20-23頁より。

逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書)

逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書)

 

 

南北戦争以前には、堕胎は日常的に見られるものであり、多くは様々な種類の医師や助産婦によって行われる合法的な医療行為であった。胎児が動いたと最初に感じられる、いわゆる「胎動の始まり」(quikening)という現象が起こったと確かめられるまでは妊娠しているとはみなされなかった」。

「胎動が始まる前の堕胎は道徳的、あるいは医学的な問題を一切起こさなかった」。「19世紀初頭におけるアメリカ人女性は胎動が始まる前であれば自由に堕胎することができたのである」。

 

1840年以降、堕胎は次第に一般的になってきた。堕胎診療所は繁盛し、おおっぴらに新聞や雑誌で広告を行った」。1840年以前には妊娠中絶を行うのは未婚の低層階級の女性が主だったが、この頃から中上流階級の女性がこうしたサービスを利用し始めた。

 

1850年代の初め、道徳改革運動者であるホラチオ・ロビンソン・ストラー医師をはじめとする何人かの医師たちが、堕胎の危険性と不道徳性について医学専門誌や大衆雑誌に記事を書いたり、州議会でロビー活動を行い始めた」。彼らは胎動の始まりと無関係に中絶に反対した。1859年にはアメリカ医師会で中絶への非難決議を採択させた。「フェミニストは堕胎が女性の健康を脅かすものであり、女性に対する抑圧の一部を形成するものだという認識に基いて、この改革運動を支持した」。宗教界指導者はこの問題に関与することを避けていた。反対運動の牽引役となったのは医師だった。医師たちは1866年から1877年までの間に、中絶は刑事犯にあたるという法律を州議会で通過させるうえで重要な役割を果たした。

 

 なぜ医師が中絶反対運動を牽引し、違法化に関ったのか。第一に、急激な出生率の低下に対して、医師だけでなく政治家が危機感を覚えていたこと。「よりよい階級の」既婚女性の中絶が出生率の低下に影響し、代わりに大家族の移民が押し寄せていることに彼らは気づいた。「堕胎に反対する立場は階級差別主義者や人種差別主義者の考えを暗に反映していた。なぜなら、不安は単にアメリカを救うために必要な、壮健でアメリカ生まれでプロテスタントの血統が充分でなくなるかもしれないというものだったからだ」。

 第二の、最大の理由は、医師の専門職化を助け、正規医師の独占支配を作り上げるため。当時アメリカには医師資格の法がなく、多くの者が「医師」を名乗っていた。正規の医師たちは、科学的で倫理的な医学を標榜し、自分たちの規範としてヒポクラテスの誓いを採用した。とくにこのヒポクラテスの誓いが中絶を禁じていた。「これらの運動において、正規の医師たちは文化的および専門職的支配という社会的な目標を、道徳的および医学的な言葉に移し変えたのである」。結果、比較的短期間のうちに各州で中絶が違法化され、中絶に対して無関心あるいは寛容であったアメリカ世論は態度を硬化させることになった。「1900年までに、堕胎は違法というだけでなく逸脱していて不道徳であるとされたのだ。医師による道徳改革運動は堕胎を逸脱的行動と定義することに成功した」。

 

以上まとめると、

・19世紀半ばまで、アメリカでは胎動が始まるまで妊娠とみなされなかった。それ以前の中絶は違法でも道徳的悪でもなく、日常的に行われていた。

1840年代、中絶処置を行う診療所が拡大した。中上流階級の既婚女性がこうしたサービスを広く利用するようになった。

1850年代、一部の医師たちが道徳改革運動として中絶反対運動を始めた。彼らは中絶の違法化に成功した。

・政治家が違法化に賛成したことの背景には、白人の中上流階級女性の中絶が拡大するとこれらの階級の出生率が低下し、大家族移民に国を乗っ取られるのではないかという階級的・人種的差別観があった。

・正規の医師たちが中絶反対運動を展開したのは、中絶処置を行う(彼らから見て)非正規の医師たちを市場から排除するためだった。中絶の違法化・道徳化はいわばその手段だった。

ということになる。

 

 

 この19世紀後半の過程でキリスト教がほとんど関わっていないことが興味深い。逆に、いつからこの問題が宗教の問題とみなされるようになったのだろうか。この点は本書では言及されていなかった。また、胎動が始まった後の中絶についてはどのような扱いだったのだろうか。今後、関連書を読むことがあればまた紹介してみたい。

 

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yomu.hateblo.jp

籠池夫妻と差し入れの書籍でコミュニケーションを試みるという記事を読んだ

 大阪拘置所に接見禁止のまま長期間拘留されている籠池夫妻に対し、差し入れの書籍で間接的にコミュニケーション?をはかっているノンフィクション作家さんの記事。面白い。

 

 

 大阪拘置所は、夫妻に対する面会や、手紙や写真のやりとりを禁じている。そのため支援者は彼らと直接ことばをやりとりすることができない。そこでこの作家は、夫妻に書籍を差し入れ、そこに書き込まれた傍線から彼らの意思を汲み取ろうとする。

 

旦那さんの方はわりとわかりやすい。

 泰典氏は社会的な書物に食指が動くようだ。なぜなら熱心に読んだものは線を引きまくってあり、興味の在りかがわかるからである。

 拘置所から戻ってきた本の傍線部を見てみると、泰典氏の気持ちがなんとなく伝わってくることもある。別冊宝島編集部「日本の『黒幕』100の明言」というオムニバス本の中では「詐欺という不名誉な罪で裁かれることは自らの矜持が許さない(許永中)」というところに太々と線が引かれていた。三島由紀夫「若きサムライのために」では「人間の自尊心や誇りを破壊することは、絶対に許せない」という文に、八田隆「勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか」では「国家権力は人ひとりを踏み潰すことなど造作ない」「検察は、公判で被告人を有罪にする調書を作成するためだけに取り調べをする」といった部分にチェックがあることを鑑みると、今回の逮捕勾留が不当なものであると感じているようだ。

 

一方、奥さんに対しては本の好みが絞り込みづらいらしい。差し入れる側が苦慮しているさまが(外野がこんな表現を使うのはアレだけど)面白い。

 泰典氏へ届ける本はすぐに決まるのだが、諄子さんに入れる書物を選ぶ際の悩みは深い。

 どんな本を差し入れても、「面白くない」「チョイスがいまいち」と本音の感想が戻ってくるからである。

 当初は田辺聖子「孤独な夜のココア」、高田郁「八朔の雪―みをつくし料理帖」、向田邦子「思い出トランプ」といった小説類を持って行っていたのだが、読んだ形跡なく戻ってくる。しばらく経ってから、「小説は要りません。感動できるノンフィクションが読みたい」とのメッセージが届いた。

 泣けるノンフィクションというと「病気で死んじゃう系」なのかと思ったのだが、そういうのもダメらしい。

  

 他人の性格を勝手に推測することの良し悪しは別として、彼女の性格や人となりが間接的に立ち現れてくる気がする。

 わたしはいま「質的研究」についてぼそぼそ勉強しているのだけれど、書籍に書き込まれた傍線や、差し入れの反応といったことも、その人のあり方を推し量るための手掛かりになるのだなと知った。

 

 接見禁止措置は面会も手紙や写真のやりとりも禁じる。あまりに酷い。閉鎖環境に閉じ込められ、他者とのコミュニケーションを絶たれると、人間の感受性や判断能力はみるみる衰弱する。それは人間が人間性をこそぎとられるということ。古くは中国共産党思想改造キャンプで開発し、現代のカルト教団が常用する方法でもある。理由の乏しい長期拘留はれっきとした拷問だ。無くすべきだ。